深泥池














 今、見ておくべきポイントは2つあります。1つは池の奥のほうを見てください。白い花が咲いています。あれはカキツバタです。少し真中に薄紫の筋が入りますが、大体白ですね。太田神社のは青、ここのは白。これは地域性なんです。園芸種としてのカキツバタの仲間、アヤメやカキツバタ、そういう類のものはすべて、黄もあれば紫もあれば白もある。この辺にはなぜか白いのが有利に繁殖したというだけで、都合よく言われているように、深泥池にまつわる色々な因縁話との関連でかくかくしかじか・・・幽霊が出て云々・・・というような俗説はありますが、これはあくまでも俗説でして、ほとんど学問的には根拠はありません。ただ、ここに分布するものが白いものが多かったという事です。

 もう1つ、浮島についての話をしたいと思います。前に見られる木は実は根が無いんです。浮いているんです。浮島というのは高地と湿原で、高い山の上にあるのはけっこうあるんですが、このような平地に近い標高100mくらいですね、こんな所に浮島があるのは珍しいんです。これの出来方については色々な説がありますが、実ははっきりわからないんです。

 ここから先は私の独断と偏見の説です。今皆さんが立っている所は土手です。この池は1万年、説によれば2万年、氷河期最後の時代に出来て今まで続いている。これも事実なんですが、その時出来たものは、実はもっと狭い池やったはずです。池の南側の公園の高さと池の水面の高さを比べてください。1.5mは違うと思います。これだけの水面を持ち上げたわけなんです。土手を築きまして、本来の池よりもようけ水がたまるようにしたわけです。その土手を築いたのは江戸期ですけど、その時に水面が上がって、結果、湿原のビルテ?というんですけど、湿原の上にあった島のようなものが浮き上がって、浮島になったんではないかなと、私としては考えています。それの学問的根拠はどこまであるか?ということは、長くなるので省かせていただきます。そんなことで、低い場所にある池としては珍しいという事です。  

 皆さんご承知のように、ここに池ができたという理由は色々あります。1つ言っておきましょう。縄文時代、旧石器時代、もうちょっと前くらい、万の単位で計れる時代に、2万年くらい前に賀茂川がひじょうに氾濫したことがあります。しょっちゅう氾濫しとったようです。その頃に賀茂川や高野川が氾濫しますと、土砂が大量に流れてきます。そして池の入り口に土砂がたまります。そして後ろから流れてきた水が自然にたまって湿地になった。こういうのがこの池の由来です。ですからこの辺まで賀茂川の氾濫土砂が流れ出てきたという事だけは事実のようです。この年代がほぼ最終氷河期の終わりですから、2万年から1万5000年くらい前ですね。

 ついでにもう1つ言わせてくださいね。上賀茂に人が住むようになった頃です。この前に山がありますね。ニシ山といいます。後ろにある山をケシ山といいます。いずれもこの辺の山頂で2万年程前の旧石器時代の石斧、ナイフ型石器ですが、それが発見されております。これは発掘調査で発見されたのではないので、史料価値は低いと言われますが、それでもほんまもんです。2万年ほど前の石器が発見されています。上賀茂はその頃から人が住んでいたというのだけは事実です。

 こんど、上賀茂神社でお話を聞く機械があると思いますが、上賀茂の奥にゴルフ場がありますね。戦後、進駐軍が駐留してきて、自分たちの遊び場を作れという事で命令いっか、お宮さんの杜をつぶしてゴルフ場を作りました。田んぼもつぶして。その時分、占領軍優先ですから。その時にブルで、ガリガリ掘ったら、土器が出てきました。これを調べると縄文中期前半くらいやったか、ざっと4000年位前の縄文時代の石器と土器が出土しています。これは戦後、昭和25年くらいやったか、私、現物を見ました。今は今出川大宮のあたりに考古資料館があり、そこに保管されています。もし、興味のある方があったら、いっぺん見に行ってください。ここで、上賀茂の先史時代・旧石器時代・縄文時代中期の遺物が展示されています。その頃からここには人が住んでいたわけです。

 ちょっと時代が下がります。向こうにニシ山がありますが、その山のてっぺんには6世紀ぐらいの古墳が今もあります。ただ、地盛があるだけで、石室までは見られませんので、また、機会があれば見ておいてください。これは6世紀です。  

 4000年前から西暦で6世紀の頃、それから京に都が出来た8世紀9世紀のころまで、めんめんと、人と文化が繋がっているわけです。そういうところに住んでいるという事を、今後も生かして子供たちと一緒に、その辺をウロウロしていただけたら、また新しい発見があるかと思います。  以上で説明を終わらせていただきます。後は山に入ります。