2006年


2006年12月29日

今年最後の1枚は「UK・ツアー’76/ニュークリアス」。76年2月18日録音のニュークリアスのCD2枚組み未発表ライブ音源。私が一番気に入っているブリティッシュジャズロックバンド。リーダーのイアン・カーは英国のジャズトランペッター。マイルスの影響を受けているし後年マイルスのバイオグラフィーを出版し日本語訳も出たほどのマイルス研究家でもある。音源の中でイアン・カーらしき人物の声で75年発表の「アーリー・キャット」が最新アルバムであると話し、演奏もそのアルバムからのものが多く私には耳覚えのあるものばかりだが2枚目なるとアルバムにない未発表のものが入っている。演奏はライブだけあって荒いというか乗っているというかスタジオ録音では味わえないスピード感があるしソロやアドリブもたっぷり。私はこれはジャズだと思っているが日本ではジャズ評論からはなぜか無視される。ネットのこのバンドのディスコグラフィー(海外)でこのアルバムを早い時期に見つけていたがディスクユニオンのネット通販に乗るまで、1、2ヶ月のタイムラグがあった。すぐに注文、入手。それから1月ほどして今度は輸入盤仕様の国内盤もでるが店頭ではあまり見かけない。毎月10枚前後のCDを買う。年間120から130枚になるが、これが私にとって今年最高の1枚。というのも76年の2月録音だから。「アーリー・キャット」は75年にLPコーナーで英国オリジナル盤をリアルタイムで購入。そのすぐ翌年。正月に就職が決まった企業で1週間アルバイト。1月の後半から最後の試験、すでに卒論も評価Aをもらっていたので4回生の大学最後の試験は気が楽だった。そのあと十日ほど大学入試のアルバイトをして2月から3月にかけての3週間を同級生の谷村稔君と共に大学生協が募集したヨーロッパツアーに参加。今で言う卒業旅行のはしりである。ほとんどが東京、名古屋、京都の大学4回生で20人ほどのグループ旅行だった。移動には添乗員は付かず現地に到着すると駅や空港にアルバイトの旅行社のスタッフ(日本人でなく現地のドイツ人女性だったこともあった)が出迎えてくれた。もちろん終日自由行動。往復とも今では考えられない南周りヨーロッパ便。香港、バンコク、カラチを通過した。これを選んだのはこのCDの英文解説にニュークリアスの76年冬1月から2月の英国内のコンサートツアーの日程が載っているから。1月14日に始まり最終が2月21日、その頃私は確かにヨーロッパ大陸のどこかにいた。パリかローマでは同じ英国ジャズロックバンドのソフトマシーンのコンサートポスターも目撃している。このアルバムやヨーロッパでの目撃で当時日本では人気がなかったが(私のように日本でも一部の熱狂的なファンはいたが)現地では聴かれていたことが証明されたようでうれしくなってきた。それでは今年はこれでおしまい。


2006年12月20日

青島幸男が亡くなった。新聞やテレビでは「意地悪ばあさん」、「タレント議員」、「都知事」などを紹介していたが私にとって青島はクレイジーキャッツと一対だった。50年近く前テレビ放送の創成期に「おとなの漫画」で毎回ハナ肇が「作 青島幸男 出演 ハナ肇とクレイジーキャッツ」と紹介するシーンが冒頭にあった。だから子供の頃から青島のことはよく知っていた。最近ではナベプロの渡辺晋のドラマでも石黒賢が若き青島を演じていた。今「明日があるさ 青島幸男作品集」を聴いている。青島の作詞作品集。クレイジーのあの一時代を築いた無責任ソングはほとんど青島の作詞。本人の歌、意外と上手いし数もある。坂本九のデビュー期のもの。「明日があるさ」は2,3年前にも何回かカバーされている。加山雄三の「日本一の若大将」も意外と青島。テレビアニメの主題歌、天童よしみの「だまって俺についてこい」はクレイジー植木のカバー。他に朝丘雪路、スパイダースまでも。私が二十歳を過ぎた頃青島は国会議員になった。無所属で無力ではあったが今の自民党に復党した訳の分からない国会議員よりは筋が通っていたように思う。


2006年12月16日

今日の1枚は「スタンダーズ Vol.1/スタンリー・ジョーダン」。86年録音のソロのジャズギターアルバム。スタンリー・ジョーダンにとっては2枚目のアルバム。そろそろ今年もクリスマスソングのカバーを1曲。「サイレントナイト」をブルースのように弾いている。タッチ・テクニックと呼ばれる両手タッピング奏法(左手でベースラインとコード、右手でメロディーとアドリブを弾く)で85年当時、ジャズギターの革命と言われた。聴いていてオーバーダビング無しの一発取りのギターソロには思えなかった。これもブルーノート関連。ブルーノートがキャピトル(EMI)に入り当時は以前のカタログの再発や未発表音源のリリースだけだったが85年にブルース・ランドバルが社長に就くと新生ブルートートは新録音をスタートした。その記念すべき最初のアルバムがこのスタンリー・ジョーダンの1枚目「マジック・タッチ」だった。それもほとんど知られていない新人のデビューアルバム。日本のジャズ評論家に騒がれた。当時これは聴かねばと私もLPで買った。そして1年ほどでこのアルバムが出た。時はLPからCDへの移行期。私の持っている東芝盤CDの解説にはLP,CD,テープの3種類メディアの品番が印刷されている。当時まだ私はLPを聴き続けていた。LPが生産されなくなるとは夢にも思わずに。この2枚目もLPで買うつもりだった。このアルバムを買う少し前にラジオか何かでデジタル録音の話を聞いた。クラシックでは当時すでにほとんどがデジタル録音されていた。そのライブ録音で観客の腕時計の「ピッ」というアラームが録音されその録音が没になったというものだった。デジタル録音神話である。このアルバムを買いに行ったときこのCDケースの裏にデジタル録音盤と書かれていた。それでCDのほうを買ってしまった。お陰で1枚目のLPはなくなってしまったが2枚目のこのアルバムは手元に残った。このジョーダンのアルバム1枚目も2枚目も、現在東芝のカタログにはないらしい。ブルーノートの新録第1号だというのに。最後にこのアルバムの演奏曲が良いの。「サウンド・オブ・サイレンス」、「サニー」、「ジョージア・オン・マイ・マインド」、ビートルズの「ビコーズ」、「マイ・フェイヴァリット・シングス」に「サイレントナイト」。


2006年12月9日

今日の1枚は「パラダイス・カフェ/中島みゆき」。96年発表作品。これも前回の拓郎関係で。まず中島みゆきに関しては30年前から聴いているしアルバムはすべて持っている。初期の8枚ほどはLPであとはCDで。30年前、人生で初めて失恋を経験、そのときにラジオで彼女の失恋の歌が鳴っていた。(何の歌かは忘れたが)そのときこのおんなは破れた恋を忘れられずに相手への怨み歌を歌っているのだろうと勝手に想像した。私の失恋の相手も私に対して中島みゆきの歌のような感情を、私を怨んでくれたら私の気が少しは楽になっただろうと。そして中島みゆきがこの失恋を乗り越えて新しい恋の歌を歌うまで彼女の歌を追いかけようと決めた。でも30年経っても私には中島みゆきの新しい恋の歌は聴こえてこない。だから彼女の新しいアルバムも最近また買ってしまった。話は拓郎の今年の「つま恋」。ハプニングゲスト(こんな英語はないのだろうが)二人。かまやつは拓郎とデュエットしている「シンシア」かと思ったが、歌ったのは「我が良き友よ」だった。これも拓郎の作詞作曲だった。二人目が中島みゆき。このアルバムで彼女が歌っている「永遠の嘘をついてくれ」。テレビの解説によるとこの歌は彼女が拓郎に提供したもの。拓郎が他人の歌を歌うのはそう多くない。(アルバム1枚だけ他人への提供曲や歌謡曲を歌っているのがある 拓郎の「くちなしの花」が良い)私はこの「パラダイス・カフェ」に入っている「永遠の」がオリジナルだと思っていたがセルフカバーしたものだった。彼女はこのアルバムジャケットの写真のような白いブラウスで登場、この1曲だけ付き合って舞台を降りた。

「君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ

  永遠の嘘をついてくれ 出会わなければよかった人などないと笑ってくれ」


2006年12月3日

今日の1枚は「LIVE’73/よしだたくろう」。たくろうの73年の実況録音盤。今年も12月になった。私にとっての今年最大の音楽イベントはたくろうの「つま恋コンサート」に尽きる。(競演のかぐや姫とっては悪いが)「つま恋」が75年だからこのアルバムはその2年前のライブということになる。つま恋でも歌った「洛陽」が入っているから選んだ。NHK衛星の放送は編集再放送とたくろうへのインタビューや舞台裏を扱った番組を見た。今年のライブはDVDになるらしい。70年に入ると私はビートルズ、英米ロック、英ジャズロックからジャズを聴きだし、日本のフォークやニューミュージックは見向きもしなくなったが幸いなことに1歳下の弟がエレックやオデッセイ(CBSソニーの別レーベル)のたくろう、泉谷しげる、猫、陽水、小椋佳、かまやつ、五輪真弓、チューリップなどのアルバムは買っていたので当時リアルタイムで聴いていたがこの人たちは当時テレビなどのマスコミにはほとんど露出しなかった。ただたくろうに関しては「時間ですよ」で顔を見たような覚えがある。(それで浅田美代子と結婚したのかな?)今年のつま恋を観て、たくろうが年相応にか、病み上がりのせいか随分丸くなったように思えた。昔は性格も何もかもが尖っていた。コンサートでたくろうが歌った70年代の曲はほとんど歌える。私が好きな歌は「落陽」と「今日までそして明日から」。どちらも歌ってくれた。テレビを見ながら口ずさもうとすると涙が出てきた。なぜだろう。たくろうの復活を喜んでか、そうではなくて30年前の若者の悩む気持ちの歌が50歳を超えた今の私にはまだ共感できることにだろうか。そう思った。人間一生悩み続けるのだろう。悟りなんて持てないと。コンサートのラストで歌い終わるとたくろうは何分も頭を下げ続けた。観終わって思った。たくろうは年相応に変わっていたが私自身はどうなんだと。


2006年11月23日

今日の1冊は「これが決定版ビートルズ・カヴァー/かまち潤」。「LOVE」も出たことだし今日はビートルズ。この本はビートルズの曲を曲ごとにいろいろな個人やグループによるカヴァーを二千曲もコメントを付けて紹介している。今後の「ビートルズ買い」には役立ちそう。表題には「世界初」とあったが私は他に1冊ビートルズカヴァーのデータ本を持っていて今までも参考にしていたのでこの表記は気に入らない。著者のかまち潤さんは記憶に間違いがなければレコードの海外からの通信販売やオークションの仕方を紹介す本を以前書かれていてそれを参考にして海外からレコードを買ったことがある。懐かしい名前だ。先日、来年で閉店する京都駅前のプラッツ近鉄(京都近鉄百貨店、私にはそれ以前の丸物百貨店として親しんでいた)でビートルズ来日40周年記念のコピーバンドによる店内コンサートを見てきた。前日はルーフトップコンサートを真似てデパートの屋上でやっていたがあいにくの雨だったので次の日にした。そんなに上手いバンドじゃなかったが初期のビートルズも荒いライブバンドだったのでこんなものかと聴いていたが気になるのは初期の曲が中心で後期のは殆どやらなかった。2ギター、ベースギターとドラムのビートルズのバンド編成(だからコピーバンドなんだかれど)聴いていてそうかと思ったことがある。後期の曲はレノン・マッカートニーであっても殆どがメンツの各個人が作っていったもの。だから4人のバンド編成では演奏しきれないものも多い。コピーバンドもやるのが難しいものが多いのだろうと。ビートルズがぎくしゃくしだした頃ポールが昔に戻ってバンド演奏でアルバムを作ろうとメンツに呼びかけて「ルーフトップコンサート」「ゲットバックセッション」を行うが結果は空中分解。結局最後にフィル・スペクターがリミックスしたのが「レット・イット・ビー」。ポールはこのアルバムのリミックスが気に入らず30年も経ってから「ネイキッド」を作ってしまった。そんなことを考えながら同じ近鉄の中の旭屋書店でこの本を見つける。


2006年11月18日

今日の1枚は「蜜の味/ハーブ・アルバーツ・ティファナ・ブラス」。トランペットのハーブ・アルバートの65年発売のアルバム。原題は「ホイップド・クリーム&アザー・デライツ」であま〜い名曲を並べているがジャケット写真も当時有名なモデルさんに本物にホイップクリームをかけて撮影しようとしたがクリームが溶け出しシェービングクリームに代えて撮影した。タイトルとジャケットが合っていて洒落ている。今日これを選んだのはこのアルバムに「ビタースウィート・サンバ」が入っているから。我々の世代ならこの曲名でピンと来るだろう。この曲は私が中学高校の頃深夜放送にはまり込んだ頃、「オールナイトニッポン」オープニングテーマソングに使われていたから。定期試験の深夜勉強や夏、冬休みにはラジオの深夜放送を「ながら聴き」した。試験勉強中は夜の11時からチキンラーメンを食べながら「11PM」を観て休憩、深夜の3時ごろからは「オールナイトニッポン」を聴いていた。なぜか東京の放送なのによく聞こえた記憶がある。大阪の放送局が中継したのだろうか。ディスクジョッキーはなんと言っても糸居五郎さん。日本でアメリカ式のディスクジョッキーが自らレコードを駆けながら放送するのを始めたのはこのおじいちゃんが最初らしい。糸居さんは洋楽、ソウルやブルースまであの独特の言い回しでしゃべっていた。もう一人、亀渕昭信さん、この人も聴き覚えがあるが、当時はロックなどのレコード評で名前を覚えた。でも亀渕さんは最近のライブドアか村上ファンドの(少し時間が過ぎてどちらか分からなくなったというかフジテレビがどこに買収されようがあまり気にならないから)フジテレビ乗っ取り事件?で親会社のニッポン放送の社長になって渋い顔でニュースに出てきたのには驚いた。へえあの人がニッポン放送の社長か!だった。その亀渕さんがCD解説でオープニングテーマは別の曲だったと。最初の放送でアシスタントディレクターがレコードのA面とB面を間違えて放送してしまった。以後この「ビタースウィート・サンバ」がオープニング曲になったと。


2006年11月5日

ポール・モーリアが亡くなった。彼の楽団の録音を探したが持っていない。LP時代には「恋は水色」の入った2枚組みベストを持っていた。記憶をたどると色とりどりの風船の中にフランス人女性モデルが写った写真のジャケット。40年前の中学生の頃、家具のような今では考えられないようなステレオを初めて買ってもらった時、まだジャズやロックの意味が分からずラジオで聞いた流れるような綺麗な演奏のポール・モーリアを学校帰りに遠回りして七条大宮近くのレコード店で買った。当時の我が家は五条通に近かったから1kmほどそれを大事に抱えて持って帰って記憶がある。ひょっとするとそれが私が最初に買ったLPレコードだったのかもしれない。GS、カレッジ・フォーク、ビートルズ、ポッポス、ロック、ジャズを聴きだすと「イージーリスニング」や「フレンチ・ポップス」などといわれたポール・モーリアは見向きもしなくなった。今日はやはり何か彼のオーケストラを聴きたいとCDを探したら以前紹介したCD1枚全曲枯葉のコンピレーションアルバム「枯葉」にポール・モーリアの演奏を見つけた。彼が亡くなった枯葉の季節に代表曲の「恋は水色」ではなくて「枯葉」を聴くことにする。


2006年11月5日

今日の1枚は「サマー・タイム/ポール・デスモンド」。11月になるとやはり「枯葉」の1枚を。68年録音。アルトサックスのデスモンドにドン・セベスキーがオーケストラを付けたもの。A&MのCTIシリーズだからプロデュースはもちろんクリード・テイラー。だからメンツはCTIのレギュラーメンバーで固めている。タイトルからしてボサノバやラテンジャズぽいしこのプロデューサ−の作品は難しくなく聴きやすい。彼のアルトを聴くとやはりデイブ・ブルーベックの「テイク・ファイブ」が思い浮かぶ。私がポール・デスモンドを知ったのもデイブ・ブルーベック・クァルテットを聴いてから。クァルテット時代からソロアルバムは出していたがブルーベック・クァルテットを辞めてからの最初のソロアルバムがこのアルバムにあたる。1曲目から「黒いオルフェ」みたいな曲。ビートルズの「オブラディ・オブラダ」(ジャズではこの曲のカバーは珍しい)、「枯葉」、最後は「サマー・タイム」。全曲アルトがソロを取る。「枯葉」は暗さはないが落ち葉が舞い降りるのを彼の独特のアルトが奏でている。「サマー・タイム」(ピアノソロはハービー・ハンコック)も物悲しさは感じるが熱さは感じない。なかなかいける。このアルバム面白い。タイトルが夏なのに秋の曲が入り、ジャケット写真は例のよってCTIシリーズは芸術写真を使っているがそれも冬山の氷柱の解ける滴とその氷の間から太陽の光が一点、星のように覗いている。「枯葉」買い、「ビートルズ」買い、「ジャケット」買いの1枚。


2006年11月1日

久しぶりに今日の1冊は「上方落語名鑑/やまだりよこ著」。9月15日に発行された上方落語の定席の誕生を記念して上方落語協会所属の198人のプロフィールと180本の噺の演目の解説と落語家の家系図が載っている。あとがきにはテレビ局を辞めて初代天満天神繁昌亭の席亭になられた岩本靖夫さんがこの本の発行や繁昌亭の経緯を書かれている。高校大学の1年後輩の小田君のお陰で落語にはまった。大学時代聴きに行ったのはホール落語ばかりだったので一度は繁昌亭へ行ってみたいものだ。今日これを取り上げたのは新聞に岩本さんが「開業準備以来の心労で、体調が優れないので辞任を申し出た」という記事が載ったから。繁昌亭は開業以来満員御礼でマスコミにも取り上げられていた。岩本さんの苦労も実っていくだろう。落語家さんの話ふたつ。京都出身で故文枝の弟子で桂文也。嫁さんは結婚前お茶やお花をやっていたので着付けを習っていた。その着付けの先生の息子さんがこの桂文也。最近はテレビなどには出ないので嫁さんも心配していたがこの名鑑にも載っているし最近私が聴いたローカルFM放送で彼のことが語られていた。もう一人は笑福亭松之助の弟子だった明石家小禄。明石家というからタレントの明石家さんまとは松之助の兄弟弟子になる。30年近く前藤井大丸にあったJ.プレスの中島さんの店にいると明石家小禄が入ってきた。当時、小禄は少しはテレビなどに出たいたのですぐに分かった。小禄は中島さんの友人だった。しばらくして出て行ったがそのとき私に「兄ちゃん、今何時や」と時間を聞いていった。当時はまだ吉本の京都花月は新京極にあったし藤井大丸は近くだった。数年前の新聞に「さんまの兄弟弟子が詐欺で逮捕」の記事が出た。「兄ちゃん、今何時や」がふっと甦った。この本の落語家の家系図には明石さんまは松之助の弟子として載っているが小禄は載っていない。破門されたか廃業したのだろう。


2006年10月28日

今日の1枚は「バロック・イネヴィタブル/ジョン・サイモン」。BS&Tやサイモン&ガーファンクルなどの名プロデューサーであるジョン・サイモンによる66年発表のパロディーアルバム。タイトル通り当時のヒット曲をバロック音楽の楽器編成(ギターとドラムが入る)でクラシック・バロック音楽風アレンジ(ハープシコードの音が中心)を聴かせるロック・ポップス集。これは最近のジャケット買いの1枚。当時流行ったサイケデリックな色合いでバッハやモーツァルト時代のヘヤースタイルにネクタイ、ジャケットの今風のメンツが楽器を持っているイラストが気に入った。イラストはミルトン・グレイザーの作。この色使いで思い出したのが「ボブ・ディランのグレーテスト・ヒット」のディランの横顔のイラストポスター。これもこの人の作品。よくあることだが私のほしいCDはCD屋の店頭には並ばないことがよくある。あまり売れないCDということだろう。この日もお目当てのCDが何もなく紙ジャケCDのコーナーを片っ端から見ていたらこのジャケットを見つけた。それにビートルズが2曲入っている。それだけでジョン・サイモンがどういう人かも知らずにジャケット買い。ビートルズ以外にも「サニー」、「ワイルド・シング」にディランやシナトラの曲がイージーリスニングできる。このごろはこういうのをソフトロックと分類するらしい。その日のお目当てのCDはいつまで経っても店頭に並ばないので取り寄せ注文した。毎月多くの新譜CDが売られるがCD屋もすべてを仕入れる不可能だろう。仕入れる仕入れないはどういう基準で決めているのだろう。私の欲しいものが店頭に並ばないのは店の仕入れ担当者と客である私との感覚のズレがあるからだろう。こういう店は常連客を他の店に取られるだろう。


2006年10月13日

今日の1枚は「1958マイルス/マイルス・デイビス」。タイトル通り58年録音のマイルスのオリジナルアルバムから外れた演奏を集めた79年発売の日本編集盤。マイルスは75から80年まで演奏やアルバムの発表を休止していた。その間に米CBSコロンビアは何枚かの編集盤を出している。これは日本のCBSソニーが出した58年のジョン・コルトレーンが参加した日本独自の編集盤で他の米国編集盤より統一感があり単独のアルバムとしても通用する。ただし1曲だけ55年録音が入っているがこれもコルトレーンの参加で他と違和感はない。これはジャケット買い。79年CBSソニー盤LPは持っていたがCD時代になってマイルスとコルトレーンのコロンビア録音のコンプリートボックスを持っているので今までこのアルバムは買い換えなかったがジャケットが懐かしくて紙ジャケCDで買ってしまった。池田満寿夫のリトグラフかシルクスクリーン。ドアの前で赤い縞のシャツを着る人物。私の好きなジャケットイラストの1枚。数年前、池田満寿夫の美術展を見に行った。目的はこのイラストの本絵を見たかったから。有名な作品なのだろう。ちゃんと在った。タイトルが「サムシング」か?。レコードジャケット用に製作したのだろうか。30センチ角の大きさだった。やはりこのくらいの大きさが良い。手元にあるCDの紙ジャケでは迫力がない。もう一枚、構図が同じで色違いで緑の縞のシャツの作品もあった。版画系は配色代えが比較的容易なのだろうか。美術展の帰り、別の会場で変わった染め物の展示をしていた。染料を浸した和紙で布にちぎり絵を作りアイロンで熱して和紙の染料を布に染付けてちぎり絵風の染物を作り、その布に和歌などを墨書きしたタペストリーなどがあった。製作者の女性がいたので話を聞くとその染め技法は昇華転写?という技法でありふれたものらしい。私が友禅屋だと知ると逆に染色方法を尋ねられ友禅技法を利用できないかと質問され1時間近く話をした。最後に名刺を交換した。女性は大阪でNHKの文化講座の講師をされていた。最後にアルバムに戻るがこの中の1曲「ラブ・フォー・セール」。ブルーノートのキャノンボール・アダレイの「サムシン・エルス」にもマイルス、アダレイで58年3月に録音している。こちらはマイルス、コルトレーン、アダレイで同じ年の5月録音、「サムシン」も実質的にはマイルスのリーダー作だから同じ時期の同曲のコルトレーン入りか抜きかを聴き比べるのも面白い。私はやはりコルトレーン抜きの「ラブ・フォー」のほうが好い。興味があれば聴き比べを。


2006年10月7日

今日の1枚は「無言歌・クリス・スペディング」。前回のニュークリアスのギターのクリス・スペディングが69年に録音。内容はブリティッシュジャズ。所々でフリーに行ってしまうところが当時の英国ジャズをよく表している。70年にニュークリアスができるからそれ以前のまだ彼がジャズしている頃の録音。でも日本ではこういうのはジャズ方面からほとんど評価されないというよりも無視されている。メンツはクリスのギター、ポール・ラザフォードのトロンボーン、ジョン・ミッチェルのピアノ、ブッチ・ポッターのベースそして英国ジャズ、ジャズ・ロックではお馴染みジョン・マーシャルのドラム。このアルバム、71年に日本で発売されたがイギリス本国では発売されず私の持っているCDも92年に東芝から出たもの。海外のネットの彼のディスコグラフィーでもこのアルバムの現在入手可能なものは「TOSHIBA CD」と載っている。今日はクリス・スペディングで思い出した話を。娘が小学生の頃、娘を連れて河原町三条の中古レコード屋へ行ったときのこと、そこで彼の中古盤を見つけた。彼はニュークリアスを辞めた頃からジャズから離れロカビリーというジャンルをやるようになった。それは知っていたが彼の名前が懐かしくて買ってしまったが内容は案の定私の好みではなかった。ただそれだけ。話はそのレコード屋のこと。娘と一緒に4人も乗れば満員になりそうなエレベーターでレコード屋まで上がり店内に入る。あまりきれいな店ではない。私はビートルズの海賊盤CDを買いに時々行っていたので驚きはしなかったが床も揺れているように感じた。地震でもあれば危ないような店だった。中古盤を漁っていると彼のLPを見つけた。(そのLPはほかのレコードと一緒に処分してしまったので今は無い)その時、客が入ってきた。モヒカン刈りに黒の革ジャンに鎖がジャラジャラの若者。娘が私にピタッとくっ付いたのを覚えている。娘にとっては最初のカルチャーショックだっただろう。もうひとつ娘と体験した話。やはり二人でニチイ(ニチイは潰れたよね)かどこかのエスカレーターに乗っているとすぐ後ろから男の声で女言葉の会話が聞こえてきた。オカマさんが二人で話していた。娘と顔を見合わせて笑いあったが後ろを見る勇気はなかった。娘もこの二つの話は十数年立った今でもよく覚えているという。


2006年10月1日

今日の1枚は「ヘミスフィアーズ/ニュークリアス」。ブリティッシュ・ジャズロック・バンドのニュークリアスのファーストアルバム後の70年とセカンドアルバム後71年の未発表ライブ音源。2枚のアルバム以後イアン・カー以外はメンバーチェンジを繰り返すことになる。ソフトマシーンのライブ音源が出尽くしたので次はこのグループだろうと思ったとおり出てきた。伝説になっているニューポートとモントルーのライブは出るのだろうか。今回のメンツは初期のオリジナルメンバー、リーダーのイアン・カー(tp)、カール・ジェンキンス(el‐p、oboe)、ブライアン・スミス(sax)、クリス・スペディング(g)、ジェフ・クライン(b)、ジョン・マーシャル(d)。日本のジャズ評論家はこのバンドをフュージョンバンド位にしか思っていないが初期の音源を聞くとこれはジャズバンドとしか思えない。ライブならではイアン・カー、ブライアン・スミスはオリジナルアルバム以上にアドリブをとるし、特にクリス・スペディングのギターがこんなに激しく奏でるとは思ってもいなかった。ちょっとおかしな話はこのCDを買ったときのこと。雑誌の記事で行きつけのCD屋に注文。(こんな売れないCD、店売りなんかされない)入荷したので買いに行くと2600円。帰ってCDを見ると帯に定価3000円とある。このCD、輸入盤に日本語の解説が付く新譜の国内盤仕様。店員はCDケースの裏バーコードでレジを通したのでレシートにはその輸入盤の正しい番号が印字され価格も2600円なり。このCD屋は日本橋や梅田に大きな店を持っているのでそこではこの輸入盤CDを売っているのではないか。大きな店はオンラインで商品を管理しているので輸入盤の安い価格が入ってしまったのではないかな。ひょっとして安売りになっているのかと思い雑誌で調べるとやっぱり3000円。(7月の新譜だからまだ安売りはしないだろう)いつも利用するネット通販でのこの輸入盤CDも2500円だからこれはやはりレジのうち間違いだろう。400円得した話。


2006年9月25日

今日の1枚は「イン・ザ・ブルース・ウィズ・EC 1/エリック・クラプトン」。これはクラプトンのベストアルバムではあるけれどもリーダーアルバムからではなくてセッションマンとして参加したものからクラプトンの泣きのギターが聴けるものを集めたもの。日本編集でクラプトンファンにはたまらない。シリーズ化していて現在3枚出ている。この1枚目がユニバーサル系、2枚目がWEA系、3枚目がBMG系の録音でまとめられている。前回のマリア・マルダーでクラプトン関係だと思ったが共演盤が分からない。何かで読んだような気がしたが思い出せなかった。クラプトンのCDの解説を片っ端から読んでいたら有りました。この中に1曲、ブルースのクラレンス・ゲイトマウス・ブラウンの「ドント・シンク・トゥワイス」。(ゲイトマウスの95年「ロング・ウェイ・ホーム」の中の1曲、クラプトンはブルースの大御所と共演もしているし彼のアルバムにはブルースが多く録音されている)ここで彼女がクラプトンのバックで歌ってる。これもなんとディランの曲。ここではディランがブルースになってる。今日はクラプトンではなくマリア・マルダーの続きでした。


2006年9月23日

今日の1枚は「ハート・オブ・マイン/マリア・マルダー(シングス・ラヴ・ソングス・オブ・ボブ・ディラン)」。06年録音の彼女の最新アルバム。タイトル通り全曲ディランのラヴソングをハスキーに歌っている。この人若い頃からこんな低い声だったのか?。最近はカーステレオでこればっかり聴いている。ディランの曲だから乗りまくる曲はないがのんびり車を運転するにはちょうど良い。私は6,70年代のディランしか聴いていないので以降の曲は私には珍しいが「メイク・ユー・フィール・マイ・ラヴ」くらいは知っているし彼女もそれをしっとり歌っている。実は最近の音楽雑誌にこのアルバムの記事が出ていた。マリア・マルダーの名前が懐かしいのと彼女がディランからの助言で全曲ディランを取り上げたアルバムだというので興味を持った。なぜ彼女の名前を知っていたか。クラプトン関連だと思っていたが、クラプトンのデータ本にはクラプトンと彼女の共演はないらしい。リタ・クーリッジやイボンヌ・エリマンと勘違いしていたらしい。でも彼女の歌声にはまりそう。日本では人気がないそうでほとんど輸入盤らしい。懐かしいアルバム、若い彼女が髪の毛に花を一輪挿しているジャケット写真のを探しにいこう。


2006年9月16日

今日の1枚は「イート・ア・ピーチ(デラックス・エディション)/オールマン・ブラザーズ・バンド」。72年発表作品。デュアン・オールマンの死後、このアルバム用のデュアンの生前の演奏と彼の死後弟のグレッグを中心としたオールマンズの演奏と71年3月のフィルモア・イーストでのライブからなる。私はデュアンの演奏が好きでオールマンズのアルバムは他のメンツには悪いが彼のギターが聴けるこのアルバムまではオリジナルフォーマットのCDを持っている。ビートルズ→ジョージ・ハリスン→エリック・クラプトンと来てクラプトンの「レイラ」で彼を知った。私がレイラを聴いた当時、デュアンはまだ交通事故死していなかった。デュアンのいるオールマンズはライブ録音が最高。だから一番は「フィルモア・イースト・ライブ」。近年、未発表ライブ盤CDが国内盤で出たり「フィルモア」の完全盤が出たりした。今回の「イート・ア・ピーチ」はCD丸々1枚71年6月のフィルモア・イーストでの最後のライブが付いた2枚組み。これが欲しさに買ってしまった。今日の話はこのオールマンズのこと。レコード・コレクターズ9月号のオールマンズの特集を読んでいて驚いた。以前ひとりごと(05年3月5日)で紹介した映画「あの頃ペニーレインと」。ロックを扱った青春映画としては出色の出来というか、私のロック少年だった頃を思い出さしてくれる映画だ。この映画は監督、製作、脚本のキャメロン・クロウの実体験を基にしている。これでアカデミーの脚本賞を取っている。彼は実際に少年時代のロックバンドの記事からローリングストーン誌の記者になり映画脚本家から映画界へと入っていく。この映画に出てくる「スティル・ウォーター」というバンド、本当はこのオールマン・ブラザーズ・バンドがモデルだった。そしてキャメロン・クロウは実際に当時デュアンにインタビューしている。私としたことがこの話は初耳だった。33分の「マウンテン・ジャム」、だらだらと長いと嫌う人もいるけど私は大好きだ。


2006年9月2日

今日の1枚は「ツァラトゥストラはかく語りき/デオダード」。アレンジ、キーボードのデオダードの72年録音のCTIデビューアルバム。プロデューサーのクリード・テイラーが独立して作ったCTIレーベルで一番よく聴いたのがこれ。これも輸入盤をLPコーナーで発売直後に買った。ダブルジャケットでピカピカのビニールコーティングがされていてグリーン色が綺麗だった。当時はイージーリスニングジャズと言ったがフュージョンなんて呼ばれ始めたころか。私はCTIジャズと呼んで一つのジャンルに分けていた。メンツのヒューバート・ロウズのフルート、ロン・カーターのベースは常連だったように思う。このアルバムにもあるがクラシック曲をホーンやストリングスを含めてアレンジするのが流行った。CTIにはクラシック曲のジャズ化が多い。リヒャルト・シュトラウスのタイトル曲は日本でも流行っし私にとってはなんと言っても中学時代に見た「2001年宇宙の旅」のテーマ曲。映画に挿入されたこの曲と「スケーターズワルツ」は今も印象に残る。この「ツァラストラは」1曲のためにこのアルバムを買った。トラムのロックビートからホーンとストリングスであの有名なテーマへと入っていく。後はデオダードのアレンジの妙。9分は決して長くない。もっと長くてもだれずに聴いていられる。CD化でこの曲のシングルバージョン(こっちは5分)も追加され二度美味しい。ちょっと話は変わるが日本ではA&MのCTIシリーズはユニバーサルからCTIレーベルはキングから発売されている。CTIの表記はどちらの会社も使えるのだろうか。最近、デオダードのワーナー時代(CTIの後の録音)がCD化された。


2006年8月30日

今日の1枚は「ア・デイ・イン・ザ・ライフ/ウェス・モンゴメリー」。ジャズギターのウェス・モンゴメリーの67年録音の当時イージーリスニングジャズと呼ばれ日本でもヒットしたアルバム。クリード・テイラーがプロデュースしたA&MレーベルのCTIシリーズの1枚で後クリード・デイラーが独立して作ったCTIレーベルはクロスオーバーの代名詞にもなったがこれはその初期のものと考えても差し支えないと思う。私はタイトル曲のビートルズが入っているので買った。(もう1曲「エリナ・リグビー」も有り)ウェスはピッキング奏法やオクターブ奏法で知られるジャズギターの巨人で私はリバーサイド時代の演奏が一番好きだが今日は後期のこれを取り上げた。ミュージックエアで彼の特集があった。その中でリバーサイドのプロデューサーだったオリン・キープニュースが驚くべきことを語っていた。彼は家族の生活費を稼ぐためにリバーサイドと契約し数々の名アルバムを残したが(誰もがそのころの演奏が最高だというし私のそう思う)しかし生活の安定のためにリバーサイドの契約完了後、ヴァーブと契約そこでクリード・テイラーと出会う。クリード・テイラーは売れるジャズ(ウェスがメロディをバックはストリングスなどの大所帯が取る)を作り出した。(それは悪いことではないしプレーヤー達の生活も安定する)クリード・テイラーが独立してCTIレーベルを作ると彼もCTIの専属になりこのアルバムはアメリカではジャズアルバムとしては大ヒットする。そして彼の生活は安定するが演奏会や録音と忙しくなり68年に心臓麻痺で43歳の若さで亡くなる。オリン・キープニュースは暗にクリード・テイラーが一般の人々(ジャズファン以外)に人気の出てきたウェスにとって不本意なジャズ芸術性のない流行音楽を演奏させたことからの心労が原因だと指摘する。この話は今までジャズ関連やアルバム解説書では読んだことがない指摘だった。しかしこの番組は一方的な意見だけでは終わらない。マイルスと競演したこともあるジョージ・ベンソンがウェスの変化を擁護する。評論家たちは演奏家を理解していないと。そう言えば彼も「ブリージン」の大ヒットで歌えるジャズギタリストに大変身した。このジョージ・ベンソンもA&MのCTIシリーズにビートルズのカバー集がある。ニューヨークの交差点をギター抱えてアビーロードしているジャケット写真。


2006年8月25日

今日の1枚は「ニュー・コンセプツ/スタン・ケントン」。52年録音のスタン・ケントン楽団。何度も言うように私はビッグバンドジャズは好きじゃないがなぜかこれは持っている。今日はスタン・ケントンじゃなくてメーナード・ファーガソン。あのハイトーンのトランペター。新聞に死亡記事が載っていた。ジャズを聴いていたころ名前を知ったプレーヤーがまた一人消えていった。彼はケントン楽団の花形トランペターだった。独立してからも自らビッグバンドをやっていた。近いところでは映画の「ロッキー」のテーマが有名。彼のアルバムを探したらまずエマーシーの「ジャム・セッション」が出てきた。これは15分以上の演奏が2曲、8人編成のジャム・セッションなのでなかなか面白いがそれよりもケントン楽団に在籍したときのファーガソンが聴けるのがある。ケントンが自らメンツを紹介してそのメンツがその都度ソロを入れていくのがあるのを思い出した。それがこれ。ケントンが紹介するとファーガソンは他のメンツより長いソロをトリでとっている。それもあの高音のトランペット。ケントン楽団のスターだったのだろう。


2006年8月14日

今日の1枚は「テイク・トゥエルヴ/リー・モーガン」。62年録音のリバーサイドの別レーベルのジャズランドから発表されたジャズトランペッター、リー・モーガンのバードバップ作品。メンツはクリフ・ジョーダン、バリーハリス、ボブ・クランショウ、ルイ・ヘイズ。ジャケットも彼がタバコを指にはさんで指示を出すモノクロ写真が良い。前回のLPコーナーの話でこのアルバムを思い出した。70年代に十年ほど梅田のLPコーナーに通った。OS劇場の横の東通商店街を入って商店街の終わりのほうにLPコーナーはある。商店街の始めのほうはパチンコ店や飲食店、阪神高速を渡るとサウナやピンクサロン(あの頃はアルサロと言った)が増える。そこを通り抜けるとLPコーナーと言う輸入レコード店があった。通っている間に商店街に2軒ほど新しくレコード屋が出来た。今日の話はLPコーナーの近所に出来たレコード屋での話。2,3年でなくなったので名前も覚えていない。LPコーナーへの道筋にあったので行き帰りよく覗いた。あるときその店でこのアルバムを見つけた。ビクターからまだ国内盤は出ていなかった。ファクトリーシールがしてある輸入盤である。値段も普通の輸入盤程度だった。レジに持っていくと店員がジャケットとレコードの内容が違うがいいかと聞いてきた。今なら少しは余裕もあるから買っても良いけれど当時の大学生にはそんな余裕はなかった。レコードを返して目的のLPコーナーへ行った。そこで大谷さんにこの話をしたら「それはコピー盤だろう。うちでは扱わない」だった。それ以後そのレコード屋には立ち寄らなくなった。と言うより間もなく店を閉めてしまった。でもこのリー・モーガンのこのアルバムが忘れられなかった。国内盤が出たときはすぐ買いに走った。今は紙ジャケCDのテイク・トゥエルヴを聴いているがこの紙ジャケを見るとあのときのレコード中身は一体誰の演奏が入っていたのかと思い出してしまう。


2006年8月5日

今日の1枚は「ドルディンガー・ジュビリー‘75/パスポート」。ドイツのジャズサックスプレイヤー、クラウス・ドルディンガーのジャズ・ロックバンドのパスポートの75年ライブアルバム。ドルディンガーのパスポートは現在でもメンツを入れ替えて活動している。最近このパスポートの70年代のアルバム8枚が紙ジャケCDで発売された。懐かしくて8枚とも大人買いしてしまった。このアルバムは大阪LPコーナーの大谷さんの推薦だった。当時2,3枚このパスポートを買った。30年前、ニュークリアスやソフトマシーンの新譜が出なくなり英国ジャズ・ロックからジャズへと好みが移りだした頃大谷さんがこんなのがあると言ってくれた。ジャケットは好みではなかったが、メンツにジョニー・グリフィンやレス・マッキャンなど米国ジャズメンの名前があった。英国ジャズ・ロックよりドイツのそれのほうがよりアメリカ的でおまけにジョニー・グリフィンなどのアメリカ人が客演している分だけ余計にそう思えたのか。ドルディンガーもマイルスの影響をもろに受け、この8枚の中にはウエザー・リポート的な演奏をしているところもあるが同じマイルスの影響を受けた英国のイアン・カーのニュークリアスと聞き比べると国によってマイルス・デイビスの影響が違うのが面白い。数年前パスポートのドイツ盤のベストアルバムが売られていたので懐かしくて買ってしまったがその時点でこのグループはまだ活動していると解説にはあった。CD屋で見つけたときの感想はパスポートなんてグループは誰も知らないだろうし誰も買わないだろうから私が買ってあげるかだった。このCDはビクターからの発売。でも記憶にある独LPのレーベルはアトランティックだった。帯には音源はワーナーからと書いてあった。紙ジャケで復刻するならセンターラベルもアトランティックを使ってほしかった。以前紙ジャケ復刻したアイアン・バタフライでもビクターはアトコの音源を使っていたがCDのラベルはアトコの黄色じゃなかった。この頃こんな紙ジャケ復刻が多い。復刻するならレコードラベルも当時のものを復刻してほしい。


2006年7月23日

今日の1枚は「ヘアピン・サーカス(オリジナル・サウンド・トラック)/菊地雅章」。72年公開の五木寛之原作の映画「ヘアピン・サーカス」のサントラCD。ジャズピアノの菊池雅章の2ドラム、セクステットの演奏でジャズとしてもなかなか聴けるものになっている。二度目の登場なので映画、音楽の内容は以前のを探してください。五木寛之ファンとしてはLPを売っ払うときこのアルバムは売らずに残した。今回、紙ジャケCDの新譜情報サイトを見ていたらこのアルバムが紙ジャケCDで復刻されるとあった。すぐ注文を出した。手にしたCDは普通のプラケース盤、ジャケット写真もオリジナルとは全然違う。音だけは違いはないが。CD解説がまた面白くない。この映画のことを観たこともない人間が菊地のジャズのことばかり書いている。サントラ盤は映画と音楽が一体なのに菊地の音楽性だけしか書かない。多分、今の五木寛之しか知らない若いジャズ評論家か何かだろう。サントラ盤で思い出したのはマイルスの「ジャック・ジョンソン」。リアルタイムで「ジャック・ジョンソン」は聴けたがあの映画は当時日本では公開されなかったので私は観ていない。後年、映画のほうを観たときに黒人最初のヘビー級チャンピオンへのマイルスの思いがあのロックビートから伝わってくるようなサントラだと思うようになった。だから解説の初めでこの映画を観ていないという解説者を使わずにこの映画と菊地の音とを総合的に解説できる人間に選ぶべきだったと思う。それでもこのCDも売れないだろうな。硬派の菊池がエレピを弾いている。70年代初めの作品。買うのは菊地ファンか五木ファン位だろう。私はオープニングの峰厚介のソプラノサックスは30年前にはじめて聴いたときから気に入っている。最後にジャケットのこと、紙ジャケ復刻の情報があったが結局プラケース仕様になった。おかしいのはオリジナルジャケットのデザインや写真が全然使われていないこと。私が持っているようなオリジナルLPのジャケットが手に入らなかったか(紙ジャケは殆どLPジャケットから写真復刻されている)、オリジナルのジャケットデザイナーの承諾が取れなかったかと勘ぐりたくなる。


2006年7月17日

今日の1枚は「オリヴァー・ネルソン・プレイズ・ミッシェル」。66年録音、テナーサックス、編曲、ビッグバンドのオリヴァー・ネルソンのインパルス盤。彼で思い出すのはプレステージのアルバムジャケット。必ずジャケットに彼の写真が使われていた。今回の登場は前回の(シド・バレットで前々回になってしまうが)リー・モーガンで「イエスタデイ」のホーンアンサンブルのアレンジをオリヴァー・ネルソンがしていたので、このアルバムには彼自身がテナーを吹いての「イエスタデイ」が入っているから聴き比べてみたかったから。(このアルバムにはタイトル通りミッシェルも入っている)このインパルス盤は全体的にいやに明るいBGMに使えそうなアレンジで演奏している。同じようにホーンの入ったビッグバンド風だがこっちのほうはナイトグラブのバックに流れているような甘い感じになっている。面白いな、モーガン盤ではジャズの域からはみ出ない依頼があったのだろう。モーガンのトランペットとショーターのテナー。テナーの部分を聴き比べてもショーターのほうがジャズしてる。自身の演奏を編曲するときはやはりモーガン盤とはっきり差を付けたかったのだろう。こういうジャズのスタンダードの聴き比べは面白い。最近のジャズ雑誌に日本人は「枯葉」さえ入っていれば満足しているとか何とか書いてあったが私は「枯葉」が大好きでジャズプレーヤーの解釈の違いが演奏に出るのが面白い。だからいまだに「枯葉買い」や「ビートルズカバー買い」は止められない。このCDは2年程前にジャケット買いをした物。たまたまそれにビートルズカバーが入っていた。インパルス盤の紙ジャケCDの売れ残りが3割引きで並んでいた。こんなオリヴァー・ネルソンのCDは誰も買わないだろう。(売れ残りの安売りでも時々当たりが出ることがあるから面白い)でもジャケットは黒人お姉さんのぼかしの掛かったヌード写真。ヌードに釣られてつい買ってしまった。ジャケット見ただけでこれはジャズではなくてイージーリスニングに思える。最近マイケル・クスカーナのモザイクレーベルから彼のアーゴ、ヴァーブ、インパルスの演奏の6枚組みCDが出たらしいがちょっと私には手が出ない。


2006年7月12日

今日の1枚は「帽子が笑う・・不気味に/シド・バレット」。シド・バレットは初期のピンク・フロイドのリーダーでアルバム2枚を残して精神的な問題からグループから離れていった。このアルバムはグループを離れてからの70年に発表された彼の最初のソロアルバム。きょうの新聞に彼の死亡記事が載っていた。殆ど隠遁生活だったらしい。私はピンク・フロイドが大好きだがシド・バレットが抜けてからの方なので、彼にはそう思い入れは無いがそれでもやはり今日は彼のソロを聴いている。これを買ったのは2曲でソフト・マシーンの3人が演奏しているからで(ロバート・ワイアット、マイク・ラトリッジ、ヒュー・ホッパーの3人が彼の歌に後から演奏をオーヴァーダビングしている。そういえばピンク・フロイドもソフト・マシーンも新人の頃同じライブハウスに出ていたからその頃の縁があってこのアルバムに3人が参加したのだろう)彼のちょっとだるい歌や演奏だけなら手は出していない。全体にアコースティックギターが中心で初期のフロイドのサイケデリックよりフォークソングのように聴こえるアルバムになっている。でも世間で言われているように彼の精神状態どうだったのだろう。このアルバムもじっくり聴くには少ししんどすぎる。でもこれが良いという人もいる。


2006年7月8日

今日の1枚は「デライトフリー/リー・モーガン」。ジャズトランペットのリー・モーガンの66年録音ブルーノート盤。66年といえばブルーノートの創始者のアルフレッド・ライオンがブルーノートをリバティに売却した年。このアルバムはライオンがプロデュースしたリー・モーガンの最後の録音ということになる。7月は先月のビートルズ来日40周年の続きでビートルズのカバー曲の入ったアルバムをと決めた。LP時代にキング盤か東芝盤で持っていたがあまり聴かなかった。私はビッグバンドやビッグコンボなどの大所帯は嫌いなのでこのアルバムも「イエスタデイ」が入っていなければ見向きもしなかっただろう。今聴き直してみると「イエスタデイ」と「サンライズ・サンセット」(以前取り上げたキャノンボール・アダレイもこのミュージカルを取り上げていた)以外4曲はジョー・ヘンダーソンとのクインテットの演奏。この演奏のほうが上の2曲より気に入っている。やはり当時からこのアルバムはメンツが多すぎるという先入観があり敬遠していたのだろう。(でもこの2曲の方には一時期ジャズ・メッセンジャーズの同僚だったウエイン・ショーターが入っている)話を「イエスタデイ」に戻すとモーガンはホーンアンサンブルをバックにソロを取るバラード。トランペットの後はショーターのテナーが続く。まさか彼がビートルズをやるとは思わなかった。63年に「サイドワインダー」でジャズロックがヒットした。だからビートルズをやるのならこのポールの曲よりジョンのロックンロールのほうが似合うように思ったが。ホーンアンサンブルのアレンジはオリバー・ネルソンが担当。この人、プレステージに多くのアルバムを残している。クスカーナとルプリのブルーノートレーベルのディスコグラフィを見るとホーンアンサンブル入りにはあと4曲見発表曲が有りこのアルバムの米国CDにはこの未発表曲もすべてボーナストラックとして収録されている。このアルバムには関心が無かったので米国盤は買わず、今聴いているこの東芝盤CDもオリジナル通りの収録だけである。


2006年6月29日

今日の1冊は「1966ビートルズ東京公演/浅井慎平」。66年のビートルズの来日時においける唯一人のオフィシャルカメラマンである浅井さんの写真にリヴァプール出身の詩人であるピーター・バームがビートルズへの思いを散文に綴ったのがこの写真集。この写真集は来日30周年の95年12月に出版された。(浅井さんの「ビートルズ東京」は来日直後に出版されているのでこれは2度目のビートルズ写真集ということになる)今日は彼らが来日した66年6月29日からちょうど40年になる。そこで何かと思ったがE.H.エリックの司会の武道館のライブのCDとも思ったがあれはブートレッグ。東京公演のパンフレットのあるがそれもレプリカ。そこでこの浅井さんの写真集にした。有名なジョンの下着姿でホテルの部屋に入る写真も載っている。(これは浅井さん写真家生活唯一の隠し撮りだそうだ)

バームの散文から「夜明け。1966年6月29日午前3時44分。ビートルズは東京に着いた。リムジンを走らせながらジョンとポールとリンゴとジョージは何を見ていたのだろうか。嵐の去ったこの東洋の果てにある大都会。まだ色を持たない黒い箱のようなビルディングが車の窓から見えていたはずだ。とうとうここまで来てしまった。」

浅井さんの巻末の謝辞から「この世は捨てたものではなさそうだ。思いがけないことが起きた。これは奇跡かもしれない。1966年の夏のはじめ、僕は写真家として華やかにデビューするはずだった。けれども、事実は一冊の本が手元に残り、東京のデパートで写真展が開かれただけだった。その頃、この国では、ビートルズはただ騒がしいだけの妙な若者だと思われていた。知的なジャーナリズムは彼らを無視した。時が過ぎ、人々はビートルズのなにかに気づいた。人々は<イエスタデイ>を口ずさむようになった。いまではモーツァルトと同じようにビートルズを好きだ、という人々は多くいる。ずっと昔にビートルズを撮ったぼくを変な目で見る人も少なくなくなった。過ぎていく時は、ときに真実とはなにかを教えてくれるものだ。」

あの日、テレビ中継を見たことは一生忘れないだろう。


2006年6月18日

今日の1枚は「マイ・フィート・キャント・ファイル・ミー・ナウ/ダーティー・ダズン・ブラス・バンド」。84年発表のニューオーリンズのブラスバンドのファーストアルバム?だと思う。(自信なし)アメリカにはこういうジャズ系の音楽もあるのかと思わせる音だった。雑誌などでは話題になっていたが国内盤になるのに1年ぐらいのタイムラグがあったような気がする。だから私は話題になったときに米国盤CDで先に買った。メンツはスネアドラムとバスドラム(でも打楽器はパーカッションが主でドラムは控えめあまり聞こえない)以外は全て管楽器だけ。ベースラインはチューバ。(これがブラスバンド的でというよりすごい勢いでリズムを刻んでいて普段よりアンプの低音を上げてメロディーよりチューバの音を中心に聴いてしまう)アップテンポの演奏がいい。(チューバはもっと早くなる)チャーリー・パーカー、モンクの曲にニューオーリンズジャズの「セントジェームズ病院」「リズ・リザ・ジェーン」もブラスバンドで演奏している。「キャラバン」なんて日本の高校生のブラバンの参考になるのではないか。日本でも人気が出て来日公演もしていると思う。以前アメリカ映画で「ドラムライン」?だったか、大学のマーチングバンドの青春映画があったがあれはドラム演奏が主だったがアメリカンフットボールのハーフタイムショウではマーチングバンドやブラスバンドが主役になる。ニューオーリンズの葬礼のバンド演奏などこういうブラスだけの演奏はアメリカ南部の伝統的なもので人々にも受け入れられているものかもしれない。そういえばあの映画でも主役のマーチングバンドは黒人バンドだった。このダーティー・ダズン・ブラス・バンドも黒人受けしているのだろう。


2006年6月7日

今日の1枚は「エレカレッジング・ワーズ/ビリー・プレストン」。黒人キーボードプレーヤー。70年、ビートルズのアップルレーベルからの発表作品。ビリー・プレストンが亡くなった。腎臓移植の失敗らしい。彼のアルバムを聴こう。ビートルズに黒っぽさを教えたのはこの人だろう。ビートルズのレット・イット・ビーにするか、それともブートレッグのレット・イットの元版であるルーフトップ・コンサート。どちらも彼がビートルズと一緒に演奏している。これで私は彼を知った。最初に買った彼のアルバムはA&Mの「アイ・ロート・ア・シンプルソング」だった。でも今日はアップル2枚目の「エレカレッジング」にする。プロデュースはジョージと彼自身。ジョージの「オール・シングス・マスト・パス」に入っている曲もやってるし、レット・イットに入っていたレノン・マッカトニーの「アイヴ・ゴット・ア・フィーリング」も。このセッションにはジョージ関係からクラプトン、デレク&ドミノスのメンツ、デラニー&ボニーが参加している。このアルバムの「オール・シング」のカバーはジョージのオリジナルと聴き比べるとかなり黒い。ゴスペルやソウルです。解説にはジョージの「マイ・スイート・ロード」もビリー・プレストンが競作に近い助言をしていたらしい。後は彼のオリジナル。ビートルズ解散後もジョージ、ジョン、リンゴとは共演がある。特にジョージは親交を強めた。「バングラディッシュ・コンサート」にもあの独特の黒人らしい帽子を被ってオルガンを弾く姿が映っている。この人、ローリング・スト−ズとも共演している。二大ロックバンドと共演したミュージシャンはこの人ぐらいだろう。ジャズのマイルス・デイビスとも共演している。「ゲット・アップ・ウィズ・イット」には「ビリー・プレストン」という曲まで録音されている。マイルスにも気に入られていたのだろう。


2006年6月6日

今日の1枚は「ザ・ヒストリー・オブ・サヴォイ」。84年にキングからLP3枚組みで発売されたジャズのサヴォイレーベルの名演を「スイング」「ジャズボーカル」「ブラックバップ」「ホワイトバップ&ウエストコーストジャズ」「ハードバップ」と「ニュージャズ」のジャンルに分けて収録されているコンピレーションアルバム。確かボックス3枚組みだったと思う。もちろんチャーリー・パーカーもちゃんと入っている。前回書いたようにビートルズの修正CDが送られてきて機嫌を良くしているところへ今度は日本コロムビアからこのLP3枚組みをCD2枚組み(紙ジャケ仕様)で完全収録されたものが送られてきた。何ヶ月か前に応募したCDが当たったのだ。私は完全に忘れていた。こういうのはうれしい。ジャケットを見た瞬間、これLPで持っていた。古い資料を調べると4800円で買っていた。当時キングレコードはブルーノートの販売権を失い、(東芝に移る)代わってこのサヴォイの販売権を手に入れた。その最初にこのサヴォイの歴史を発売し翌85年からサヴォイ盤を重量盤で売り出していく。このサヴォイの重量キング盤LPもブルーノートのキング盤と同様に評判が良かった。私もCBS・ソニーや東芝アリスタ盤で持っている以外のものをキング盤で揃えた。もうひとつキング盤を気に入ったのがレコードラベルをサヴォイのオリジナルデザインを使ったこと。CBS・ソニー盤や東芝盤はレコードラベルが味気ないオレンジ色のソニーやアリスタのデザインが使われていた。資料を見るとこのサヴォイのキング盤LPが2300円、同時期の84,5年から発売されだしたCDはなんと1枚3500円以上。そして今やLPはほとんど消え去った。その劇的な変化をLPを集めていたことでもろに経験できた。でも私はそのころはまだCDには見向きもせずにLPを集め、聴いていた。レコード盤が無くなるなんて夢にも思っていなかった。


2006年6月3日

今日の1枚は「ラバーソウル/ザ・ビートルズ」。(アメリカ・キャピトル編集盤)同名の英国オリジナル盤とは曲が少し入れ替わり英国盤と米国盤とはアルバムとしてのトータル感が大部違うと評論家は言うが私にはそんな違いは気にならない。(と言うか分からないという方が当たっているだろう)今日は先日ひとりごとで書いた最近買ったEU輸入盤「ザ・キャピトル・アルバムズ VOL.2」の「ラバーソウル」と「Y」のモノラル録音のエラーCDに関しての後日談。ひとりごとで書いたように「アイム・ルッキング・スルー・ユー」がステレオもモノも同じテイクの使用だと私にも判った。そこでビートルズファンクラブのサイトで東芝EMIが修正盤の交換の代行をしてくれる詳細が載っていたので東芝にエラーCDを送った。送る前にエラーCDをコピーして(ラベルもプリンターでコピー)保存することにした。もう一組み買ってエラー盤がプレミアが付くことを考えたが私はそれほどのオタクではない。今日、修正CDが送られてきた。エラーCDを送ってから4日である。異常に迅速。(因みにブルーノートのおまけCDは応募券を送ってから一ヶ月位かかっていた)エラーCDの送料も切手で返却してくれた。やはり同じEMI系列なので気を使っているのか。タワーで聞いたところではこの輸入盤の日本への輸入取り扱いは東芝が行ったので、ある程度は東芝にも責任はあるらしいとのことだった。早速音をチェックする。「アイム・ルッキン・・」をステ、モノ続けて頭だしする。ステレオはジョンのギターのミスから入る。(これを聴きたさに8千円も出したんです)モノは聴き慣れたギターのイントロがミス無しで入ってくる。エラーCDをコピーしておいて正解。私はこれでステレオ、モノミックスとステレオミックスをモノラルにした擬似モノラル(モノラルを無理やり左右に分けてステレオにした擬似ステレオというのはLP時代には有ったが擬似モノラルというのは初めて)の三つのバージョンをキャピトル盤の「ラバーソウル」と「Y」では聴くことができる。ビートルズのブートレグに凝っていたころブート屋にはキャピトル盤のステレオ、モノのコピー盤がよく売ってあったがこれでその価値は無くなった。それにしても最後はやはり東芝への文句になる。音楽雑誌にエラーCDに記事が出たがその対応が分からない。このCDを買ったタワーで聴いても分からない。東芝やビートルズのサイトを探しても何の情報も無い。あまり見たくはないビートルズの公認ファンクラブのサイトで交換情報を入手したが。(このファンクラブはあまり良い噂を聞かないから)やはり東芝がサイトで公表するか音楽雑誌に広告だすかしないと消費者への不信感を買うことになる。VOL.2の日本盤も前回と同じようにコピーガード盤になるのだろうか。そのこともこの対応への不信感を増すことになる。


2006年5月27日

今日の1枚は「ザ・コンプリート・RCA・ビクター・スモール・グループ・レコーディングス/ベニ−・グッドマン」。35年から38年にかけてのベニー・グッドマン、テディ・ウイルソン、ジーン・クルーパのトリオ、ライオネル・ハンプトンを加えたクァルテットによるグッドマンのRCA・ビクターでの全録音CD3枚組み。私の愛聴盤。それにしても日本ではスイングジャズは売れない。前回の再会セッションのグッドマンで思い出したことがあった。86年に彼が亡くなった。その年私の大学時代の恩師である二場邦彦先生(立命館大学名誉教授、現京都創成大学学長)が学内留学でアメリカのボルティモアに居られた。帰国された87年の正月に先生ご夫妻にお会いしたときに「スイングジャズの王様」のことをボルティモアではどのように話題になったか尋ねてみたが当時の現地では他にもっと重要な話題があったらしく先生の耳にはグッドマンのニュースは入っていなかった。グッドマンに関しては前回も書いたが他にもフレッチャ−・ヘンダーソン楽団が経営に行き詰まりバンドスコア−をグッドマンに譲り渡しその演奏でグッドマンは成功していく。黒人と白人の違いがこんな所にもあった。(これはうる覚えで間違っていたら笑ってください)先生の話を聴いて当時も今も思ったことがあった。ジャズがアメリカの音楽だからといってアメリカ人全員がジャズを聴いている訳でもないと。外国人が考えるように日本人全員が柔道をしている訳ではないのと同じように。ビートルズだって世界の人口の半分も知っている人はいないのではないか。我々はそういう世界中の情報を享受できる地域にいることを感謝しなければならないが必要もない過剰な情報もあふれていることも知っておくべきだ。評論家がテレビで言っていた。今でも世界中でどれだけの人が電話の存在を知っているかと。我々が考えているほど世界は進歩していないと。


2006年5月21日

今日の1枚は「トゥゲザ−・アゲイン/ベニ−・グッドマン」。ご存知、スイングのベニ−・グッドマンのオリジナルメンバーカルテットによる63年の再会セッション。何度も書いているように私は70年代のマイルス、及びマイルス・スクールからジャズを聞き出し段々とジャズを遡って聴いていった。最後はスイングやニューオーリンズ・リバイバルまでたどり着く。グッドマンといえば初めて白人黒人混合バンドで演奏したとか、スイングをダンス音楽から鑑賞音楽にしたとか(映画「ベニ−・グッドマン物語」にはダンスホールで客がダンスを止めて演奏に聴き入る感動的なシーンがある)、クラシックの殿堂であるカーネギーホールで初めてジャズをやったとかジャズ界のスーパースターだと私は思っている。(悪い噂もあった。メンツへのギャラの払いが悪かったらしい)でも私はビッグバンドやフルバンドは嫌いで、例えばエリントンでもオーケストラ演奏よりピックアップメンバーによるスモールコンボ演奏のアルバムは何枚も持っている。ホーンアンサンブルが好きになれないのグッドマンオーケストラもLP時代には完全盤ボックスを持っていたが聴いていたのはトリオとカルテット演奏ばかりだった。(それでもカーネギーホールの「シング・シング・シング」はよく聴いた)CD時代になると輸入盤でスモールグループだけのでの完全盤が出た。それは30年代のオリジナル録音だがこちらの方は彼のクラリネット、テディ・ウィルソンのピアノ、ライオネル・ハンプトンのヴァイブ、ジーン・クルーパのドラムのオリジナルメンバーによる30年近く後の再会セッションである。名前からも判るように彼らはグッドマンオーケストラから独立していった一流ミュージシャン。これをCD時代になって初めて聴いた。オリジナルと比べるとメンバーが年を食ったぶん円熟味あるのと再会セッションを楽しんでいる緊張感のない和気藹々とした演奏に聴こえる。でもスイングしている。さすがに超一流。最近この60年代の演奏をテレビ(ミュージックエア)観た。クルーパの猫背ような独特の演奏スタイルが印象的だった。メンツを言い当てられたがなぜかベースが入っていた。この人だけが分からない。


2006年5月5日

今日1枚は「カラフル・クリーム/クリーム」。67年録音のエリック・クラプトン(g)、ジャック・ブルース(b)、ジンジャー・ベイカー(d)の伝説のロックバンドの二枚目のアルバムでアメリカ録音された。先日WOWOWでこのアルバムの製作過程を関係者たちの話を交えて放送されていた。(今回これがDVD化もされる。放送では1時間未満だったがDVDでは80分以上収録)興味があればDVDを見て。関係者の中には作詞のピート・ブラウン、この人自身もジャズロックバンドをやっていたので(この人のアルバムも2,3枚アルバムを持っている)名前が出たときは驚いた。マンフレッド・マンなんて名前も出てくる。このマンフレッド・マンのアルバムも続々と日本でCD復刻されている。誰が買うのか? 私は何枚か買ったが)中でも驚くのが アトランティックの社長だったアーメット・アーティガンの話。(この人はまだ生きているのか?)クラプトンに惚れ込んだが1枚目のアルバムがアメリカではヒットせず彼の意見でクリームの2枚目のこのアルバムはアメリカで録音することになった。原盤の英国盤や国内盤はポリドールからだったが私が持っていた米国盤はアトランティック系のアトコ盤だった。(レコードの契約関係は国によって面白い)元々はジャック・ブルースがボーカルだったがクラプトンのスター性を見抜き嫌がるクラプトンにボーカルを取らせる。さすがにアトランティックを名門レコード会社にした男だけあってクラプトンの将来を彼が決めたといっても過言ではない。このバンドの昨年の再結成ライブのDVDも持っているが、この三人はそれぞれ個性が強く意見の違いから数枚のアルバムだけで解散してしまうがそれがまた伝説になっていた。この放送の中で今でもブルースやベイカーはこのアルバムへの強い意見を持っている。特にブルースがメインボーカルから外されたことへの未練をまだ持っているように思える。だから私はこれほど個性の強い三人のクリームの再結成ライブの噂が出たときは半信半疑だった。


2006年4月29日

今日の1枚は「ディープ・パープル/ロイアル・フィルハーモニック・オーケストラ」。ハードロックバンドのディープ・パープルの69年、クラシックのロイアル・フィルとの共演ライブ盤。紙ジャケが出たので手を出した。このアルバムの存在は当時高校生の時から知っていたがハードロックはツェッペリンで卒業してしまったため当時は興味がなかった。ましてやクラシックのオーケストラとの共演となるともうひとつ手を出せなかった。30年以上経って初めて聴いてみるとロックとクラシックのフュージョンで面白く聴ける。やっぱり歳を取ったのだろう。このアルバムはギターのジョン・ロードが企画したらしいがこれ以後のアルバムはこの欠片もないハードロックになっている。このバンドのこのようなプログレッシブなアルバムはこれ1枚だけ。今回の登場はこのジャケット写真のライブ会場であるロイアル・アルバート・ホールの円形の会場を見た時の懐かしさから。30年前卒業旅行でロンドンに着いたときホテルがこのアルバート・ホールのすぐ近くだった。記憶を探るとその日は休演日だったのかホールの界隈は人影はまばらで鉄柵越しに覘いていたように思う。中には入れなかったが建物自体も独特のドーム型でジャケット写真からも分かるようにホールの座席も円形になっている。ホールの近所にレコード屋があって流石に音楽のメッカだと思った記憶もある。そこで何枚か買ったがもう手元にないし何を買ったか忘れてしまった。クラプトンのアルバート・ホールでのライブ盤(これは海賊盤)を聴いた時も当時を思い出した。


2006年4月22日

今日の1枚は「スモーキン/チェット・ベイカー」。65年プレステージレーベルの例のマラソンセッション盤5枚の最初に発売されたアルバム。有名なマイルスのマラソンセッションも同じプレステージで同じトランペットだけれどこちらの方はマイルスに比べてあまり話題にならなかった(やはり人気もないのだろう)。チェットのプレステージへの吹き込むはこのセッションだけだと思う。だから彼のプレステージ盤はこの5枚だけ。チェットの体調の悪い時期の録音だとか評論家は言うがなかなか乗れる演奏をしている。マイルスと違って全曲チェットはフリューゲルホルンを吹いている。それにメンツにはマイルスバンドにいたジョージ・コールマンがテナーサックスで参加。これはプレステージ側がマイルスを意識したためだろうか。このセッションの後チェットはヨーロッパへ。そしてボロボロになってアメリカへ帰ってくる。このチェットのマラソンセッションはいつかボックスセット(レッド・ガーランドのプレリュードのライブなどコンプリートボックスになっているのに)にでもならないかと期待していたが人気がないらしく今まで買いそびれていたが最近の廉価盤ブームで1500円盤が5枚揃って出たので5枚とも買ってしまった。彼については最初の印象が悪く、最初にパシッフィクジャズのボーカルアルバムを聴いてしまったため興味を持たなかった。あの声はどう言えはいいのだろう。でもパシフィックジャズ、リバーサイドの彼のトランペットのアルバムはほとんど持っていた。


2006年4月15日

今日の1枚は「ゼン&ナウ/ザ・ベスト・オブ・ザ・モンキーズ」。タイトル通り60年代中頃のアメリカの4人組ポップアイドルグループ、モンキーズのベスト盤。私たち50歳代にとっては66年ごろの「モンキーズ・ショウ」のテレビ番組を思い出す。でも後に何度も再放送され今でも若い世代に人気があるらしいが私は今まで再放送を見たことがなかった。(関西ではやっていたのだろうか)日本でのテレビ放送ではポップグループ歌手出身の高橋源太郎(まさかあの水戸黄門の)、長沢純、鈴木やすしと同じく若手俳優の太田博之(今では社長さんの)をメンバーの吹き替えに起用して人気を煽った。それにナレーション役に当時ジャズ評論から「11PM」や「ビートポップス」の司会をしていた大橋巨泉を起用しアメリカンコミック的な掛け声を入れていたのを思い出す。当時の中学生にとっては内容や軽妙な会話からコミックバンドのようで毎週楽しんで見ていた。ところがこのモンキーズは当時のビートルズ旋風へのアメリカ音楽産業から回答だった。このテレビシリーズのためにオーディションでメンバーを集めアルバムには一流のスタッフが楽曲を提供する(キャロル・キングの名前もある)などして音楽業界がアイドルグループを作っていった。だから解散も呆気なかった。人為的に作られたグループから自我に目覚めたメンツのピーター・トークが脱退、3人組になったがまもなく解散。実質66年から68年の活動。思いつく曲はやはり「モンキーズのテーマ」、「アイム・ア・ビリーバー」と「恋の終列車」。特に「モンキーズのテーマ」はGSのタイガースなども替え歌でバンドのテーマソングにしていた。今回このCDを聴いているのは4月からミュージックエアでこのモンキーズ・ショウが放送されているからで内容は当時の印象どおりくだらないし演奏場面や歌うシーンもアテレコで(実際のレコーディングも演奏はスタジオミュージシャンを使ったらしいが)見ていてその辺が可笑しいが吹き替えは当時のままで懐かしく毎週火曜日が楽しみになっている。最近このDVDも発売されたとかでテレビ画面も大変綺麗でびっくりしている。40年近く前、カラーで見ていたのだろうか。最近、衛星放送でやっている懐かしい「ローバイド」、「コンバット」や「ルーシー・ショウ」は白黒だった。


2006年4月7日

今日の1枚は「デモンズ・ダンス/ジャッキー・マクリーン」。67年録音の彼のブルーノート最終盤というより72年にスティープル・チェイスから復活するまでのやはり最終盤か。彼が亡くなった記事を読んでまず思い出した名演はソニー・クラークの「クール・ストラッティン」と先日千円で買ったマル・ウォルドロンの「レフト・アローン」。LP時代彼のアルバムは沢山持っていた。ドナルド・バードを集めているとプレステージには二人の共演盤が多く自然とマクリーンのアルバムも集まった。彼は再婚して家族が急に増えて経済的なことから当時コルトレーン、モンクなどビッグネームがいたプレステージと契約するがプレステージは金払いが悪く借金が増えたという逸話が残っている。契約が終わるとビッグネームたちは他のレコード会社に移っていった。だから彼も次に契約したブルーノートに一番いい録音が残っているのではないか。キング牧師の講演からタイトルを取った「レット・フリーダム・リンク」を今聴いているがワンホーンで良いな。でも転調するようなところはフリーの影響か。当時のフリージャズには迎合せずこの「デモンズ・ダンス」ではハードバップやってます。メンツにウッディ・ショウ、ジャック・デジョネット。そしてこれを最後にフリーが席巻しマクリーンの居場所のないアメリカを離れヨーロッパへ、5年間沈黙する。デンマークのスティープル・チェイスからの復活後はあまり人気がなかったように思う。今日はジャケットでこれを選んだ。マクリーンのアルバムにはイラストジャケットが3枚ある。55年の有名な猫のイラストのクインテット盤。(猫には見えなくて私はフクロウだと思っていた)78年のスフィンクスのマクリーンがラッパを吹いているイラストで内容はフュージョンで日本では無視されたRCA盤。(これアメリカ盤で持っていたがレコードラベルからVICTORの文字が削り取られていた。商標権の問題だろう)そしてこの気持ちの悪そうなどう見てもジャズのレコードジャケットには見えない代物。ロックのジャケットにでもいけそう。なぜかマイルスのビッチェス・ブリュを思い出すがこっちの方が先に出ている。


2006年4月1日

今日の1枚は「カントリー・アルバム/リンゴ・スター」。70年に発表されたビートルズのリンゴ・スターの2枚目のソロアルバム。タイトルどおりすべてカントリーの曲ばかり。リンゴはこの録音をカントリーの本場のナッシュビルで行っている。(カントリーと聞くとサラリーマン時代の先輩で私の結婚式の披露宴で司会を引き受けてもらった松田美好夫妻を思い出す。カントリー好きで特に奥さんはカントリーバンドで歌っていたそうだ。)新聞にカントリーシンガーのバック・オーエンスが亡くなった記事が載っていた。彼の代表曲は「アクト・ナチュラリー」。そう、ビートルズの「ヘルプ」に入っている曲。リンゴのボーカルでカバーしている。それなら「ヘルプ」を取り上げるところだがカントリー好きで知られるリンゴのアルバムの方にした。(松田さんには悪いがバック・オーエンスは聴いたことがないから書きようがない)このCDを買ったのは以前にも書いたが長年通ったレコード店の閉店セールで。安売りでもなかったらリンゴのアルバムは買わなかっただろう。今から思うとこの閉店セールは変だった。普段は並ばなかった商品(CD)が沢山あった。このリンゴのソロアルバムなんか同じCDが何枚もあったし、売れそうもない日本コロムビアから出ていた1500円のサボイ盤も大量にあった。覚えているだけでもリンゴのソロアルバム2枚、サボイ盤(私にとってはお買い得)数枚、ディレク・アンド・ドミノスのライブ盤(今でもよく聴く)などを買った。どうもCDを卸しているレコード問屋がこのレコード店の閉店セールに託けて売れないCDの在庫処分をしたのではないか。そんな気がする。リンゴの話に戻すとビートルズ解散後ジョンとポールは競い合うようにアルバムを出していくし、この二人からの呪縛が消えたかのように才能を発揮していくジョージ(私はそんなジョージに惚れました)。このアルバムのリンゴのほのぼのとしたカントリーのボーカルを聞くと他の三人に比べて悠然とわが道を行くリンゴの姿勢が見えてくるように思える。それにしてもリンゴは三人に比べて人気がない。解散後彼も多くのアルバムを出しているがそのすべてが国内盤にはなっていない。そういう私も彼のアルバムはこのとき買った2枚だけしか持っていない。


2006年3月21日

今日の1枚は「ビッチェスブリュー/マイルス・デイビス」。69年録音のマイルスの問題作。私自身は高校生でロックばかり聴いていてマイルスの名前は知っていたがジャズなんて眼中になかった時代。この2枚組みLPは大学生になってから輸入盤のバーゲンセールで買った。河原町の会場には開店前から大学生たちが並んで待っていた。この年になった今でも彼らは私と同じようにジャズやロックを聴いているのだろうか。(当時は大阪や京都のレコード屋でも年に2,3回はバーゲンをやっていてアルバムを揃えることができた)「オン・ザ・コーナー」からリアルタイムでマイルスを聴きだした私にはこのビッチェスブリューはロック的で「これがジャズなんだ」と飛びついたものだった。今日これを選んだのはトム・クルーズのビデオ映画を見たから。「コラテラル」(04年アメリカ)。公開当時トム・クルーズが初の悪役を演ずるので話題になった。麻薬組織が裁判で不利になる人物の殺害を殺し屋に依頼する。殺し屋がトム・クルーズ。殺し屋が偶々乗ったタクシーは多額のチップで何も知らずに殺人現場を回っていく。そのタクシードライバーを、レイ・チャールズを演じたジェイミー・フォックスが好演。こっちが主役だろう。結末は言えない。(「レイ」も近々衛星放送でありそう。レイ・チャールズのベスト盤も1500円で買った。これは良いわ)ワンシーンに耳が釘付けになる。ジャズクラブのオーナーを殺しに行ったシーン。オーナー自らトランペットを吹きながら演奏している。この演奏シーン中々良い。でもどこかで聴いたジャズ。マイルスか?ビッチェスブリューか?オーナーは若いころマイルス・デイビスと競演したこともあるぐらいマイルスをよく知っていた。トムはオーナーに殺し屋であることを告げる。ジャズ好きのこの殺し屋はオーナーにマイルスに関する質問に答えられたら逃がしてやると言い、マイルスの学歴を尋ねる。オーナーは自身有り気に「ジュリアード音楽院卒」と答える。銃声が3発。殺し屋は「ジュリアード中退だ」。この演奏はCDでは2枚目の1曲目「スパニッシュ・キー」のトランペットが入る部分だろう。映画でプロのミュージシャンがやっているのかと思ったがあの音では私にでも見破られる。そう言えばマイルス自身が映画で演奏するシーンを思い出した。「クリスマス・キャロル」の現代版でマイルスグループが路上で演奏するシーンがあった。題名は忘れた。


2006年3月18日

今日の1枚は「ザ・ガッド・ギャング/スティーブ・ガッド」。リーダーのスティーブ・ガッドはジャズ、ロック両フィールドで活躍する名ドラマーでこのアルバムは86年録音。メンツはコーネル・デュプリー(g)、エディ・ゴメス(b)、リチャード・ティー(key)、他にブラスが何人か参加。メンツからも分かるようにスタジオミュージシャンのグループ「スタッフ(Stuff)」のメンツとダブり、スタッフ的でもあるが、リーダーがドラムだけにリズムがやや前面に出ている。聴きなれた曲ではクルセイダーズを1曲入れている。先日、ミュージックエアーで90年のエディ・ゴメスのライブを放映していた。もちろんドラムはガッド。メンツはケニー・ワーナー(key)、ディック・オーツ(sax)。ベースのゴメスがリーダーだけにウッドベースソロがふんだんに入っていた。このアルバムでもメロディのようなベースソロが聴ける。またこの二人は「マンハッタン・ジャズ・クインテット」のメンツでもあったから気心も知れているだろう。ここでガッドは例のトレードマーク的な黒のTシャツで写っていた。この人、私の大好きなエリック・クラプトンバンドでもドラムをやっているから(依然書いた「レジェンド」ではガッドがドラムをやっていた)気になってリーダーアルバムを探したらこれを持っていた。でもこっちはジャズの方。アルバムのエンディングの「アイ・キャント・ストップ・ラビング・ユー」はブラスを多重録音したとかで他の演奏とガラッと趣が変わってビッグバンド風になっていて驚かされる。


2006年3月10日

今日の1枚は「アイ・シング・ザ・ボディ・エレクトリック/ウェザー・リポート」。ジョー・ザビヌル、ウェイン・ショーターの双頭バンドの71,2年録音盤。ウェザー・リポートのセカンドアルバム。LPではA面がスタジオ録音、B面が72年1月の東京でのライブ音源。この二人のマイルススクール出身者にベース奏者のミロスラフ・ビトウスが加わる。今聴いても初期のこのバンドはジャズだけでは計りきれないところがある。ベースがジャコ・パスとリアスに変わってからはザビヌルが主導権を握るのかフュージョンバンドになっていたが。このアルバム、やはりライブの方が聴きやすいし乗りやすい。今日はこのジャケットの話。暗闇に宇宙人が発光して浮いているような。LPでこれを買ったとき、ジャケットを見てこの宇宙人は小学生の時の作ったことのある人体模型のプラモデルだと気づいた。ジャケットデザインにはこんなものまで使うのかと感心した。兜のような頭と心臓部分は別のものを合成してある。なぜ分かったか。輪郭の節々にプラモデルの接着用の穴が写っていたから。小学校の5,6年のころ、日本のマルサンか(今は倒産してない)アメリカのレベル社かの高さ30センチぐらいのプラモデルだった。骨格をジャケット写真の透明の体の中にいれ臓器もすべて体内に入るようになっていた。塗装用のラッカーで内臓は着色した。組み立て説明書には絵具の配合表があって自宅裏の染め工場で叔父が調色の職人をしていたので叔父に配合を聞いて着色し、気持ち悪いぐらいリアルな人体模型になった。すべての臓器も取り出せ、骸骨だけにすることも出来た。中学生ぐらいまで持っていたが骸骨だけにして壁からぶら下げていたがその後どうしたか覚えていない。ばらばらになってしまって捨ててしまったのだろう。アルバムの話に戻すがこのライブ部分は同時期に日本だけで発売されたLP2枚組みの「ライブ・イン・トウキョウ」からの同一音源の一部でいそのてるおさんがメンバー紹介をしているところが収録されている。でもいそのさんの司会は「ライブ・イン・トウキョウ」に収録されている方がかっこいい。


2006年3月4日
今日の1曲は「若大将トラックス Vol.2/加山雄三」の1曲「雲の果てまで」。久しぶりに古い映画を見た。68年の東宝映画「兄貴の恋人」。この歌はこの映画の挿入歌で、もちろん加山自身の作曲。なぜかボサノバ調。映画の内容は加山雄三の兄、内藤洋子の妹、「七人の侍」の宮口精二が父親、沢村貞子が母親役。仲の良い兄妹だが女子大生の内藤はサラリーマンの加山の世話を焼き加山の縁談を片っ端から潰していた。母親も結婚しない兄を心配していた。そんな時、加山の会社の同僚OL、酒井和歌子が叔父の酒場を手伝うために退職する。デートもしたことがなかった加山だが酒井には好意を持っていた。酒井も加山には好意を持っていたが言わずにいた。加山は会社の社長に語学力を買われアメリカ帰りの社長令嬢を紹介され付き合い始める。そうすると庶民的な酒井のことが気になりだし川崎の工場街の場末の酒場に酒井を訪ね結婚を申し込むが断られる。彼女は母親とやくざな兄の面倒を見ていた。加山は2年間のアメリカ勤務が決まる。そんな時いつもは存在感のない父が加山に自分が好きな女性と結婚するように諭すと改めて酒井を酒場に訪ねるが酒井の兄の喧嘩に巻き込まれ病院に入院、アメリカ勤務はご破算、酒井は加山の栄転を潰したこともあり結婚を固辞する。そして加山は九州転勤を命ぜられる。傷心の加山が九州に飛び立つ日、妹の内藤は酒井の酒場を訪ね酒井の母親と兄が独立できないのは酒井が世話を焼き彼女を頼りにし過ぎるからだと諭し自分の幸せを一番に考え加山と結婚するように説得する。そして酒井は承諾し羽田から飛び立とうとしている加山に電話で結婚の承諾を伝える。この内藤の酒井への説得は妹が兄に抱いている淡い恋心を断ち切ろうと自分自身に言っているように私には思えた。この辺が「若大将」のハッピーエンドとは少し違って面白かった。加山もこの映画の頃からイメージチェンジを考えていたのだろうか。でも内藤洋子は可愛い。私たちの世代には喜多嶋舞の母というより「あなたの肩先にひらひらこぼれてる」の「真冬の帰り道」のランチャーズの喜多嶋修と結婚したという方がよく知られている。またOL役と令嬢役に「サインはV」の岡田可愛と中山麻理も出ていた。最近、岡田可愛は実業家に転進して洋服を売っている。テレビのショップチャンネルで時々見かける。そう言えば加山雄三が年を喰ってきて「若大将」が出来なくなってきた時、二代目若大将になったのはランチャーズのメンツだった。この「雲の果てまで」を探したら流石若大将ファンです。ちゃんと持っとります。CDの解説によると当時シングル盤の予定だったがなぜか発売中止になった。加山はこの映画の主人公が気に入ったらしく作曲のペンネームを「弾厚作」だけでなくこの映画の主人公名の「北川鉄平」を使うことが何度かあった。

2006年2月26日

今日の1枚は「オリビアの調べ/フォーリーブス」。70年代ジャニーズ系四人組みアイドルグループの6曲入りミニベストアルバム。以前にも書いたように嫁さんは中学時代からのフォーリーブスの追っかけをやっていた。今でもファンクラブに入っている。私はCDを近所の関西系の家電量販店で買っている。一割のポイントが付く。まあ一割引のようなもので年に何回かの売り出しの時などはもっと割引率が上がる。だから国内盤はそこで、輸入盤はタワーかネット通販を使う。先日その量販店でCDを漁っていると再販期間の外れた新品CDが安売りされていた。ショーケンのベストアルバムを千円で入手。その安売りの中にこのフォーリーブスのCDが300円で売られていた。帰ってそのことを言うと嫁さんは「なぜ買ってきてくれなかった」と怒り出す。仕方なく翌日その300円のためにまた店に行ってCDを1枚買ってきた。話は変わるがその量販店の交差点を挟んだ向かいに電気屋さんがあった。店の半分でレコードを売っていた。私は20年近くそこでレコードを買っていた。初めてその店に行ったときに電気屋の社長に前もって毎月1万円位の注文を出すから1割値引きしてくれるように交渉した。社長はレコードは再販制度があって値引きは出来ないと言ったが翌月からちゃんと1割値引きしてくれた。それ以来レコード、CD時代になってもその電気屋さんで買っていた。でも十年程前に目の前にその量販店が出来た。1年ほどしてその電気屋さんは家電販売の店から電気工事専門に代わり店も表通りからなくなってしまった。CD売り場も半値閉店売り尽くしセールを行った。行くといつもと違い店は混んでいた。CDの棚がだんだん空になっていた。私がジャズを好きだったのを知っていたのか普段は置いてないようなジャズのCDを置いてくれてそれを十数枚買ったのを覚えている。最後だからと私はLPレコード用のビニール袋を100枚程貰った。息子はチャゲアスの販促用パネルを貰い家に飾ってあった。電気屋さんが無くなりその量販店でCDを買うようになった。予約は1ヶ月前までで融通は利かないが割引率は電気屋さんの比ではなかった。CDでもそれだから、電気製品なら尚だろう。大型店が進出してくると町の電気屋さんは消えていくだろう。その量販店の500メートルほど離れたところで小学校時代の同級生が電気店と経営しているが彼も経営が苦しいと言っていた。


2006年2月15日

今日の1枚は「ライブ・アット・ザ・BBC/エルトン・ディーンズ・ナインセンス」。75,78年のイギリスBBC放送音源。エルトン・ディーンはイギリスのジャズサックス奏者。そのエルトン・ディーンが2月7日に死んだというニュースが入ってきた。今のとこらネット通販のディスコ・ユニオンとストレンジ・デイズのページだけで新聞などでは確認していないが来月号あたりの音楽雑誌には詳しく載るだろう。彼を知ったのはやはり黒いジャケット(フィフス)のソフトマシーンを大学生(72年)のときに聴いた時から。1曲目の出だしからのサクセロとか言う電気サックスの独特の音色。バンド名を言わなければジャズバンドで通用する。だから彼の代表アルバムはこのソフトマシーンの演奏だと私は思う。彼を検索しても代表作はソフトマシーンか、さそりのジャスト・アスが載っているぐらい。ソフトマシーンは以前紹介しているし、さそりはみんな知っているしそれで今回はナインセンスという洒落た名前の7人編成バンドアルバムを選んだ。アメリカのジャズバンドではこういう名前をつけるだろうか。メンツにはマーク・チャリング(tp)、ハリー・ベケット(tp)、アラン・スキッドモア(ts)そしてあのキング・クリムゾンにも参加してグリムゾンにジャズ指向を与えたキース・ティッペト(p)など。私のCDを調べてみたらリーダーアルバムで6枚、共作やメンツとして加わっているもので10枚前後持っている。この人、基本的にフリージャズなのだがソフトマシーンの演奏を期待してこれほど集めたがほとんど期待はずれ、でもやめられない。アルバムの所々にいけると思わせといてまたフリーに。この「ライブ・アット」の1曲目は中々いけるがそれ以降は耐えるだけの音になって最後の曲でまたこれはいいぞと、耐えた分が報われる。3月にはエルトン・ディーンの遺作がが出る予定になっているらしい。


2006年2月11日

今日の1枚は「ライヴ・デイト/バディ・デフランコ」。57年ヴァーブ録音のジャズクラリネットのデフランコの豪華7人編成のアルバム。今年もまた日本では何の意味かは分からないセントバレンタインデイがやってくるので私も「マイ・ファニー・バレンタイン」の入っているのを探した。私はジャズではやはりトランペットが一番好きで何番目かがクラリネットやソプラノサックスの音色が好き。(ソプラノサックスならシドニー・ベシェ、バスクラリネットならエリック・ドルフィー、なんと支離滅裂な) クラリネットならベニー・グッドマンもよく聴いたが特にスモールコンボのものが好きだった。スイングジャズもいいが、モダンジャズでならデフランコでしょう。このアルバムのメンツが豪華。ハービー・マンのフルートとバスクラリネット、ピート・ジョリーのピアノとアコーデオン(ジャズではアコーデオンは珍しい)、ヴィクター・フェルドマンのヴァイブ、ギターはバーニー・ケッセル、ドラムはスタン・リーヴィー、ベースはスコット・ラファロ。(この人はリバーサイド時代のビル・エヴァンス・トリオで有名)「マイ・ファニー」はデフランコがアドリブもなくメロディをしっとり聴かせる。「サテンドール」ではデフランコとハービー・マンが出だしから絡んで後はハービー・マンのアルバムかと思うぐらいフルートが鳴っている。私の好きな「クレイジー・リズム」も入っている。題名通りアップテンポの乗りの演奏。この曲はハナ肇とクレイジー・キャッツの自ら演奏するテーマ曲だった。ジャズを聴きだしてはじめて知った。(彼らの楽器編成は完全にジャズバンドだった)今回デフランコを思い出したのは最近、同じクラリネット奏者の北村英治がデフランコとの共演アルバムを発表した記事が雑誌に出ていたから。これも購入予定。


2006年2月3日

今日の1枚は「バングラディッシュ・コンサート/ジョージ・ハリソン&フレンズ」。71年のライブ録音のCD2枚組みリマスター盤。最近DVDでも書いたし以前初期のCDでも書いたので3回目の登場となる。ジョージの再発CDはジャケットがオリジナルの形態をとらないものが多い。オール・シングス・マスト・パスも白黒の写真に色付けされていたしこのバングラディッシュはジョージの写真に変えられている。やはりあの子供の写真の方がコンサートの趣旨がダイレクトに伝わってくるように思えてならない。CDの内容はもういいだろう。今回書きたかったのは当時のバングラディッシュについてもう少し調べてみたかったから。レコードコレクター12月号の五十嵐正さんの記事から要約すると第二次大戦後、英領インドはヒンドゥー教のインドとイスラム教のパキスタンに分かれて独立。そのパキスタンはパンジャブ人の西パキスタンとインドを挟んだ東側のベンガル人の東パキスタンとの分離領土国家になった。パキスタンにおいて英国統治時代の施設は西パキスタンにあり政治経済も農業改革も西側で行われ東パキスタンの人々の不満が高まっていた。ベンガル語の国語化の要求運動などでベンガルの民族意識が高まり東パキスタン側から東西の格差是正を訴えたがパキスタン政府は軍事弾圧を行った。そして71年、東パキスタンは分離独立してバングラディッシュを宣言するがパキスタンはそれを認めずバングラディッシュに対して軍事行動を起こす。当時から印パは対立していたためインドはバングラディッシュの独立を支持し第三次印パ戦争においてインド軍がバングラディッシュからパキスタン軍を追い出し実質的なバングラディッシュの独立が実現した。この時期パキスタン軍はバングラディッシュで残虐行為を行った。そして多くのベンガル人は弾圧から逃れるために難民となってインドに。同じ時期に大洪水が発生し何百万という人々が飢餓の状態に陥った。この状況をジョージはシタールの先生だったラヴィ・シャンカールから訴えられこのコンサートを行うことになる。この時期の印パ対立には米国が絡んでいる。インドがソ連と条約を締結、そのため米ニクソン大統領はパキスタンを東西対立の前線基地と位置づけ巨額の軍事援助を行った。そのパキスタンの軍事力がバングラディッシュ独立阻止の残虐行為に使われた。最後にこの記事にはこのジョージのバングラディッシュ関連の収益1350万ドルは米国国税庁が課税対象とみなし税金の支払いを要求した。最終的にこのお金がユニセフに届けられたのは11年後のことだった。ユニセフの調査によるとその11年でバングラディッシュでは800万人以上の子供が栄養失調や病気に死んだという。私はリアルタイムでこの3枚組みのアルバムを持っていたし映画も見た。当時、私の浄財が少しは役立っていると思っていたが11年も塩漬けにされその間に多くの子供たちが犠牲になり続けたと聴かされたとき愕然とした。話は変わるが76年に南回りでヨーロッパに行く途中パキスタンのカラチにトランジットしたとき旅客機の窓のブラインドをすべて下ろすようにアナウンスがあった。カラチの飛行場が軍事と共用だったためだったが印パ対立がその根底にあったからだろう。


2006年1月28日

今日の1枚は「イフ/イフ(1)」。70年録音のブリティッシュ・ジャズ・ロックバンドの名盤。これも高校生の時、LPコーナーの大谷さんの推薦だった。バンド名は「もしも」ではなく「LIFE」の真ん中の二文字をとったらしい。メンツにイギリスジャズ畑のデイブ・クインシー(sax、fl)、ディック・モリシー(d)、テリー・スミス(g)がいた。当時アメリカのBST(ブラッド・スエット・アンド・ティアーズ)、シカゴ、チェイス、ドリームスなどブラス・ロックが流行っていたが管楽器、ボーカルの入ったロックにはジャズっぽさは英米どちらもあったが私はイフが、イギリスのジャズ・ロックの方が好きだった。ジャズ雑誌ではリー・モーガンなどをジャズ・ロックと呼んでいたが私はジャズ・ロックと言えばイギリス物と自分でカテゴリーを設定していた。だからアメリカ物はジャズプレーヤーがやればエイトビートであってもジャズで上記のバンドはただのブラス・ロックだった。でも一時期ブラス・ロックは日本でも流行った。今から考えるとビートルズ解散以後この頃にジャズ・ロックを聴きだしたことが大学以降のジャズの泥沼の導火線だったのだろう。今、イフを聴いてみるとボーカル部分は気にはならないが演奏部分に入ると一気にジャズになっていく。それもアメリカ的なジャズとはちょっと違うイギリス的はジャズに。そこが好きでイフはLPで3枚目までは集めたが(3枚目まではメンツの変動はないと思う)ジャズの泥沼で溺れだした頃からイフに目が届かなくなった。CD時代になって7枚出たイフのアルバムのうち5枚までは入手した。2枚は未CD化。おまけに72年の未発表音源のライブ録音があるらしい。今回は久しぶりにネット通販でイフの3枚目を入手したのでイフを通しで聴いている。やっぱり高校生時代に最初に聴いた1枚目が一番印象に残っている。3枚目はCDでは持っていなかったので昨年東京へ行ったときもディスクユニオンで探したが品切れだった。今回ネットで売られていたのですぐ申し込んだ。ジャケットデザインが良い。3枚目まではLPジャケットで持っていたい。すべて「IF」の文字がイラスト化されていた。この1枚目はアメリカ、キャピトル盤を持っていた。銀紙に「IF」の文字が描かれている。光沢もありメタリックな感じがしていた。今でもその印象が消えていない。ジャケットと内容がどちらもグッドな1枚だった。


2006年1月20日

今日の1枚は「オールド・ソックス、ニュー・シューズ/ジャズ・クルセイダーズ」。70年録音。前回のクルセイダーズのまだ「ジャズ」が付いていたころのアルバム。と言っても内容はとってもファンキーでブルーサム時代のプロトタイプと言っても良い。その通りで黒人レーベルのモータウン傘下のチサ・レーベルから出ていた。ジャズ・クルセイダーズを聴いたのは80年代でジャズの付いていないクルセイダーズの方を早く聴いていた。80年代にブルーノートやパシッフィクジャズを所有していたリバティ、ユナイテッド・アーティスト(UA)がEMIに吸収され日本での販売権がキングレコードからEMI系列の東芝EMIに移ることになった。そこでキングは期限が切れるまでにブルーノートやパシフィックジャズの主だったアルバムを大量にしかも1800円という低価で売り出した。この時にブルーノートを大量に揃えた覚えがある。当時そのキング盤は後の東芝盤より音が良いという評判だったので中古盤屋などではキング盤がいい値段をしていた。話を戻すがそのキング盤のパシッフィクジャズの中にジャズ・クルのアルバムも1,2枚有りそのとき初めてジャズ・クルを聴いた。ウェイン・ヘンダーソンとウィントン・フェンダーの二管が印象的だった。今日これを選んだのはジャズ・クルでこのジャケットを思い出したから。大学生のころLPコーナーへ行くと棚の一番前にこのジャケットが置いてあった。洒落たデザイン。アーガイルのソックスに同じ茶色のサドルシューズ。ジャズを聴き始めたころでジャケット買いする余裕はなかった。どんなアルバムかも確かめず見ているだけだった。何回か行っているうちにそのアルバムは消えてしまい私も忘れてしまった。96年にモータウン系のジャズがCD化されその中に20年以上前に忘れてしまっていたこのジャケットデザインを見つけた。そのとき初めてこれがジャズ・クルセイダーズのアルバムだと知った。ジャズ・クルはパシフィックジャズの次がブルーサムだと思っていたがその間に3枚ほどモータウン系に録音していたこともその時知った。裏ジャケットも面白い。脱ぎ捨てられたよれよれのワークブーツに靴下が突っ込まれている。本当の英語のアルバムタイトルは「オールド・ソックス、ニュー・シューズ ニュー・ソックス、オールド・シューズ」。最後に、このアルバムでビートルズの「コールデン・スランバー」を演奏している。これがまた良い。一度聴いてみて。


2006年1月14日

今日の1枚は「クルセイダーズ1/ザ・クルセイダーズ」。72年録音のジャズ・ファンクバンドの名盤。メンツはスティックス・フーパー、ジョー・サンプル、ウィルトン・フェルダー、ウェイン・ヘンダーソンの4人組みだったが以後ギターのラリー・カールトンらメンバーは増えていく。私はウェイン・ヘンダーソンのトロンボーンが気に入っていた。当時このバンドもジャズサイドからは電化マイルス同様敬遠されていた。でも私のようなウエザー・リポート、リターン・トゥ・フォーエヴァー、マハヴィシュヌ・オーケストラなどマイルススクールがジャズと信じていた者にとっては人気があった。特にジャズ・クルセイダーズ(最近ジャズクルのパシフィック・ジャズレーベルのコンプリート盤が出たがちょっと価格が高いので購入を躊躇している)がこのアルバムから「ジャズ」がとれてクルセイダーズとグループ名を変えたことも日本のジャズファンには受けなかったのかもしれてない。ジャズを外したことで当時はフュージョンというジャンル分けはまだ無かったが彼らは新しい音楽を目指したのかもしれない。その通りに、メンツのジョー・サンプルは後のフュージョン界の名キーボードになっていく。(以前紹介したクラプトンのレジェンズのモントルーのライブのキーボードも彼だった)解説を読むとジャズフルートのヒューバート・ロウズはジャズクルの元メンツだったがパシフィック・ジャズに吹き込むころには脱退していた。初めて知った。LPは2枚組みだったがよく聴いたのは1枚目のA面ばかり。1曲目の出だしのベースとワウワウギター、2曲目はキャロル・キングの「ソー・ファー・アウェイ」。CDで聴いても30年前が懐かしい。そしてレーベル名が洒落ていた。「ブルー・サム」(blue thumb)青い親指でレーベルデザインは親指の指紋だった。レコードレーベルにはブルーが付くのがよくあるがブルーノートが筆頭、フランス盤では「ブルースター」というのも持っていた。ブルー・サムはMCAに吸収されてCDには青い指紋のマークが無いのがちょっと寂しい。(CDは無粋なMCAの文字だけになっている)


2006年1月2日
今日の1枚は「ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970/マイルス・デイビス」。電化マイルスの70年ライブ録音。「ライブ・エヴィル」のライブテイクの素音源CD6枚組み。発売日が延期になって年末に漸く出た。70年代にリアルタイムでマイルスをジャズを聴きだした私にとっては懐かしくもあり新鮮でもある。メンツはゲイリー・バーツのサックス、キース・ジャレットのキーボード、ジャク・デジョネットのドラム、アイアート・モレイラのパーカッション、それに「ライブ・エヴィル」のライブ部分(このライブの最終日だけ参加)では参加のジョン・マクラグリンのギター、そして当時問題になったマイケル・ヘンダーソンのフェンダーベース(実際に見た73年6月の京都公演のマイルスバンドのベースも彼だった)。マイルスはちょっと置いといて、ゲイリー・バーツのサックスがすごい。マイルスはこのライブ物足りずに最終日にジョン・マクラグリンを呼んでその部分(CD5,6枚目)から「ライブ・エヴィル」を編集するが最初の4枚、ギターが無い分ゲイリー・バーツのサックスへの比重が大きい。今、日本は若い人にとってのジャズブームらしいがこのマイルスも聴いて欲しい。フォー・ビートではない。これはジャズではないのだろうか。この1万5千円が高いのなら前回書いた「ミュンヘンコンサート」はタワーなら1500円でワイト島のライブが聴ける。メンツはチック・コリアが抜けベースがデイブ・ホーランドからヘンダーソンに変わっているだけで同じ70年の録音。この解説に和訳が付けてある。モレイラが言っている。「マイルスとプレイすることはジャズミュージシャンにとっては夢、今回ギャラは出ないし泊まれるホテルも無いとマイルスは言った、それでも構わないと僕は答えた、最終日にマイルスは400ドルを支払ってくれた、それまでそんな高い金をもらったのは初めてだった」と。マイケル・ヘンダーソンは「スティービー・ワンダーのバンドでベースを弾いていた、マイルスがスティービーにお前んとこのファンキー・ベース・プレイヤーをいただいていくと言った、ジャズ評論家は僕らを評価しなかった、彼らはマイルスをけなし彼をそうさせている悪魔は僕だと書いた、マイルスが新しい表現方法をとるようになった原因は僕だと彼らは責任をすべて僕に向けた」。マイケル・ヘンダーソンはマイルスが使った最初のジャズ畑以外のプレイヤーだった。何度も書いているが日本のジャズ評論も同じだった。今ではみんなマイルスを褒めちぎるが当時を知っている私にはジャズ評論家たちの豹変振りが腹立たしい。だから私は評論家たちの評価でCDは買わない。「ジャズ道」があるようなことを言うジャズ評論家やジャズ喫茶の店主は大嫌いだ。

2006年1月1日

今日の1枚は「ミュンヘン・コンサート/マイルス・デイビス」。88年7月のミュンヘンでのマイルスバンドのライブ録音CD3枚組オランダ輸入盤。88年7月といえば以前取り上げたマイルスのモントルージャズ祭と重なるのでこの時期のヨーロッパツアーのライブ録音だろう。(演奏曲もほとんどダブル)正規盤としては初めてのCD化?だと思う。大晦日にタワーレコードを覘いたらこのマイルスの3枚組みがなんと1460円。モントルーと聞き比べるのもこの値段なら良いかと買うことにした。新年最初の1枚はなかなか発売されず延期になっていたこれもマイルスの「セラー・ドア」にするつもりだったが(70年のセラー・ドアのライブはライブ・イヴィルの音源と同じだが今回のジョン・マクラグリンの入っていない未発表の演奏のほうが私には良いように思えた)急に大晦日に変更することにした。その理由はこの3枚組みのボーナストラックにこれも以前紹介したマイルスの70年のワイト島のライブ「コール・イット・エニシング」が丸々35分入っているから。(この35分のために買ったようなもの)最近このワイト島のフェスティバル全体もCD化されたがCD化でこのマイルスの演奏が完全収録されたかは聴いていないので私には分からない。LP時代にはフランスCBSがマイルスのワイト島の演奏だけをレコード化したものを持っていたが国内盤は出なかったし今までCD化もされていなかったと思う。このオランダ盤3枚組みはソニーとは関係のない会社らしくクレジットにソニーの文字は見当たらない。タワーは正規盤しか扱わないと言っていたからこの3枚組みも正規盤だと思し、このボーナストラックの音も悪くはないし。このワイト島の音源の権利関係はどうなっているのだろう。ソニーの承諾なしに出せるものだろうか。それにしても88年の音の最後に入っている70年のマイルスの演奏のほうが数段良いように思えてならない。そう言えばワイト島が8月でセラー・ドアが12月のライブ録音。どちらも70年だ。