2003年
2003年3月08日 |
TOMの日記の記念すべき最初の1枚は「サムシンエルス/キャノンボール・アダレー」。高校時代に買ったこのLPでジャズの世界にのめりこみ、大学時代小遣いやバイト料はすべてジャズレコードに消えた。買ったのは米国再発盤、その頃の米国盤は音が悪くて日本盤が欲しかったがなせか日本盤は出ていなかった。私のLPやCDの買い方は3種類。まず、お気に入りのプレーヤーが入っている物。2番目が「枯葉」買い。これは曲目に枯葉の曲がはいっているLPは買う。ジャズでは枯葉はスタンダードナンバーでアレンジやアドリブが違って聞き比べると面白い。全曲枯葉だけのCDも持っている。最後がジャケット買い。LP時代はジャケットが気に入ると内容に関係なく買った。CDはジャケット?が小さいのでジャケット買いはあまりしなくなった。サムシンエルスはこの条件をすべてクリヤーしている。まず、マイルスとアダレー、枯葉、そして黒字にメンツの文字だけのジャケット。CDは曲目違いで2種類持っている。イントロの後の枯葉がちらちらと落ちるようなマイルスのトランペットは最高。ジャズを初めて聞くならこれ。 |
2003年3月09日 |
今日の1枚は「ニュークリアス(イアン・カー)/エラスティックロック」。ジャズロックというジャンル分けがあるがこのアルバムはフュージョンやクロスオーバーでもない。イギリスのジャズロックの名盤。「イギリスの」が必ず付く。ロックやジャズを聴いたり収集する上で私に影響を与えた人物が少なくとも4人いる。1人は高校時代のクラブの先輩Fさん。彼は落語を聞くことも教えてくれた。今、地学博物館の研究員(もっと出世していると思う)をしている。1人は高校時代の同級生K。映画、音楽、読書と趣味が合った。彼は今大きな土建会社のあとを継いでいる。あと2人は大阪のLPコーナーの大谷さん兄弟。30年以上前、高校、大学と7,8年Kと一緒に通った。兄がジャズ、弟がロック担当でこの2人から国内盤にはなっていない多くのレコードを教えてもらった。今、大きな本屋の音楽のコーナーに「ブリッティッシュジャズロック」という小さな本があるがこのレコード屋さんには30年以上前にそのコーナーが有りイアン・カー、ニュークリアスやソフトマシーンを買い漁った。その頃はもうビートルズも解散しロックにも飽きかけていたとき管楽器の入ったロックが流行りだした。大谷さんに言うと英国にはジャズとロックの中間のような音楽があると言って上記の2グループを教えてくれた。ほとんどのLPは処分したがこの2グループのLPは全て英国盤でまだ持っている。イアン・カーは英国のジャズトランペターでマイルスデイビスから影響を受けた人物。そして、私もこの後アメリカのジャズへと突き進んでいく。 |
2003年3月10日 |
今日の1枚は「ザ・ビートルズ」。(ごめんなさい。しばらく私のお気に入りが続きます)ビートルズを何歳ぐらいから聴いた覚えがあるか?小学校5,6年頃「抱きしめたい」を意味もわからず口ずさんだ覚えがある。東京公演もテレビで見た覚えがある。ビートルズをリアルタイムで経験した最後の世代かもしれない。小学校の同窓会のカラオケでビートルズを皆で大合唱できたのには驚いた。このホワイトアルバムが私の買った初めてのビートルズのレコード。中学2年のとき、シングル盤しか買ったことがなかったので別のグループが歌う「バックインザUSSR」を買った。やはり本物が聞きたい。それで、母親に4千円もらって買いに行った。(40年近く前の4千円のレコードは子供には高価だった)帰ってレコードを取り出すときのことは今でもよく覚えている。指紋が付くような白無地のジャケット(グループ名だけがエンボス加工され、下の方に薄くナンバリングがされていた)から真黒の中袋を取り出し、そこから出てくるレコードは赤いカラーレコード。センターラベルは片面が緑のりんご、片面がその切り口。4人のポートレートが4枚、ジャケット6枚大の歌詞カード(裏はポスター)が入っていた。レコードを聞く前からもういかれてしまった。内容は言うまでもない。このホワイトアルバムが私の1番好きなビートルズのアルバム。そしてホワイトアルバムで1番好きな曲すなわちビートルズで1番好きな曲は「ホワイルマイギタージェントリーウィープス」。この曲はジョージハリスンが作った。4人の中でジョージが1番好き。あの泣きのギターが最高。あのギターはエリッククラプトンだと後で知った。おかげでクラプトンのアルバムは全部持っている。ホワイトアルバムのCDは正規盤(2種類)、ブートレグのモノラル盤、アウトテイクやデモテイク盤など海賊盤を十数枚持てるがアンソロジーが出てから海賊盤を買うのを止めた。グリムゾンなんかもライブ盤の正規盤が続々出てきている。 |
![]() 2003年3月14日 |
今日の1枚は「いとしのレイラ/デレクアンドドミノス」。大好きなエリッククラプトンのリダーアルバム。30年以上前大阪LPコーナーのバーゲンで買った輸入盤。完全なジャケット買い。しばらく壁に飾っていた。LPジャケットは飾っても値打ちがあったがCDは小さ過ぎる。今持っているのはミニチュアジャケットのCD。あの頃、国内盤の発売が遅れるので新譜はほとんど輸入盤で買っていた。今聞いてもカッコ良い。クラプトン好みのブルースも入っているしメンツにはデュアンオールマン。二人のギターの掛け合いもまたカッコ良い。デュアンの死ぬ前のオールマンブラザーズバンドのCDは全部もっている。(特にライブのデュアンのギターはすごい)13年前に発売された「レイラ20周年記念盤」には当時の2人のジャムセッションが聞ける。これもすごい!「レイラ」に関しては後半部で曲調がかわるところが気に入っている。アンプラグドよりこのバージョンの方が好き。ちなみに私の携帯の着メロはこの「レイラ」。このごろ自動車のTVCMのバックにこの曲が使われている。やめてくれ!この曲はクラプトンが親友のジョージハリスンの妻への切ない片思いを歌ったものだぞ。それを商売に使うな!(後にその女性はジョージと離婚しクラプトンと結婚した。そしてその後クラプトンとも別れたんじゃないかな) |
2003年3月15日 |
今日の1枚は落語。上方落語。「特選!米朝落語全集 第13集」 米朝さんは私が高校生の頃ラジオで小松左京さんと2人で世間話をするような番組を持っていた。時々聞いた記憶がある。でも目的は小松さんの方でそのころSF小説が好きだったからで落語にはほとんど興味が無かった。高校時代、文化祭に米朝さんが落語をしに来た時も聞きに行かなかった。米朝さんの落語を初めてはっきりと聞いたのは高校時代ラジオの深夜放送で。音楽のリクエスト番組だったが間に20分ほど演芸が入った。旦那と釣りに行った男が頭の骨を釣り上げ、旦那に供養するように言われいやいや供養したその夜、その骨の女性が現れ供養しもらった礼をする。それを隣の長屋で聞いていた別の男が翌朝訳を聞き、今度は淀川で骨を釣り上げ供養をし夜を待った。しかし、現れたのは三条河原で釜ゆでの刑で処刑された石川五右衛門。そして一夜礼をしたいと言う。落ちは「お釜」。でも、落ちの前の「男同士で何すんねん」というのが頭に残ってしばらく笑えてならなかった。しかし、高校時代はそれだけ。大学ではジャズにどっぷり。高校の先輩Fさん宅でジャズレコードコレクションを見てこれを目標にするようになる。大学2年の時、高校のクラブの後輩Oが同じ学部に入学(Oはまた私と同じ教授のゼミを取りそれ以来の長い付き合いとなる)。OもまたFさんの影響を受けた。Oは落語の方。Fさんはジャズも落語もテーマあってそのアレンジやアドリブが演者(プレーヤー)の力量と教えてくれた。Oは京都市が主催する市民寄席に私をたびたび誘ってくれた。市民寄席の会場は岡崎の京都会館なので開演の2,3時間前に岡崎に行って近くのYAMATOYAでジャズを聞いてそれから落語。そして落語が面白くなり、米朝さんのあの落語を思い出した。米朝落語のLPで最初に買って聞いたのもあの「骨釣り」。米朝落語がCDになったときも最初に買ったのもこの「骨釣り」の入っているこの第13集。米朝落語CD全巻の次はDVD.話は変わるが米朝さんが最近出した自伝を読んでいたら米朝さんは私の親父と同い年。1925年生まれ。二人とも太平洋戦争敗戦の前年、徴兵が1年繰り上げられ19歳で徴兵された。米朝さんは国内いたが、親父は満州に送られ極寒の満州を体験した。翌1945年の春、親父の部隊は本土決戦のため国内に呼び戻され相模湾の見える美しい松林の海岸で塹壕の中から太平洋を見続けていた。後ろには富士山がいつも見えていたという。もうひとつ話は変わるが司馬遼太郎さんの「この国のかたち」に司馬遼さんも戦車隊長としてその辺りで敗戦を迎えたとあった。もしかしたら司馬遼さんと親父が松林のどこかですれ違っていたかもしれない。 |
2003年3月16日 |
今日の1枚は「ベンチャーズ/ライブインジャパン(1965年)」。40年前の小学生にはベンチャ−ズと加山雄三はビートルズより人気があったかもしれない。エレキブームも凄かった。私も小学生時代、ビートルズのレコードは持っていなかったがベンチャーズと若大将のレコードは持っていた。そのころ男の子の遊びのブームだったのがレーシングカー。溝のついたコースにモータで走るプラモデルを電動ミシンのスイッチでスピードを加減して競争する。家には小さな八の字コースはあったが四条河原町のゲームセンターには10人ぐらいが競争できる大きなコースがあった。中高生から大人までが夢中になった。6年生のある日、同級生5,6人で市電に乗って河原町のゲームセンターへ、みんな1台づつレーシングカーを持って。レースが終わって大人たちのレースを見ていた時、同級生の1人がジュークボックス(なつかしい)にコインを入れてこの音楽をかけた。エレキギター、エイトビートのインストもの。カッコよかった。彼に今のは何という曲か聞いた。彼は大人っぽく「ベンチャーズの十番街の殺人」と教えてくれた。今から思うと「ダイヤモンドヘッド」でも「パイプライン」でもないこの曲を選んだこの小学生はすごいと思う。後日、母にレコードを買ってもらう。4曲入りのEP。もちろん「十番街の殺人」の入ったもの。毎日電蓄で聴いた。この6年の夏以降、立命館中学に入るまでこんな遊びや音楽の記憶はない。その間は一応受験勉強をしていたように思う。中学に入ると本格的に洋楽ポップス、グループサウンズ、フォークソング、そしてビートルズを聞き出す。ベンチャーズはもう聴かなかった。ベンチャーズは小学校で卒業したようだった。この歳でこのCDを買うまであのゲームセンターの思い出は忘れていた。 |
2003年3月21日 |
今日の1枚は「アブダカダブラ/ソフトワークス」。03年2月新譜の新録音物。ソフトマシーンて知ってる? アメリカ辺りには熱狂的ファンがいて近頃出てくるライブ音源などが30年近く前のイギリスのグループだったにもかかわらずアメリカのマイナーなレーベルから出ることが多い。このグループは68年結成から81年活動停止までにメンバーが全員入れ替わり最初のころと比べると最後は別の音楽をやる別のグループになっているところがおもしろい。私は69年以降のジャズロックとして変化していくところが好きでライブを含めて殆どを所有。私が聴きだした70年代、日本でのこのグループの知名度は殆ど無く一部のファンが輸入盤を買っていた。国内盤はあまり出ていた記憶はない。ところが最近CDの再発が盛んになるとCD屋にはソフトマシーンのコーナーまである。話を戻すと、2年ぐらい前、音楽雑誌にマシーンの再結成の記事が載った。昨年CDが出るはずだったが今年になってやっと出た。ところが、元メンツの反対でソフトマシーンの名前が使えなくなった。それで「ソフトワークス」。メンツはエルトンディーン(sax,el-p)=中期、アランホールズワース(el-g)=後期、ヒューポッパー(el-b)=前・中期、ジョンマーシャル(d)=後期。このメンツでマシーン時代一緒にやったことがない。エルトンディーンはフリージャズであまり好きではないがここではちゃんとマシーンやってるしジョンマーシャルは元「ニュークリアス」のドラムスで最近はECMでよく名前を見かける。ヒューポッパーはマシーンそのものだしアランホールズワースは今やジャズギタリストだけれど私はあのシンセギターという楽器は好きになれない。ちなみに名前を使うのを拒否した元メンツとは数年前あるTVCMのバックグランドミュージックに使われた「アジマス」という癒し系音楽を作っているカールジェンキンス。最後に、このCDジャケットのイラストには中近東の砂漠が描かれている。昨日のイラクでの戦争開始が妙なところで重なり合う。 |
2003年3月22日 |
今日の1枚は「ホームアローン/増田俊郎」。バブル期(15年程前)、京都の近畿放送テレビは独自の音楽番組を放送していた。その一つに、増田俊郎という司会者がミュージシャンと話したりビデオクリップを流したりする番組を放送していた。面白くて毎回観ていたが半年位で終わったと思う。その放送で流れた「コインランドリーブルース/柳ジョージ」が気に入り柳のCDをよく聴いていた。(カラオケ屋に入っていると思う)その作曲が増田俊郎。でも彼がシンガーソングライターだったとは知らなかった。それから10年ほど経って彼のことを忘れ去ったころ再発CDのカタログに増田俊郎の名前を見つけた。それが司会者の増田かは判らないまま注文してみた。ジャケット写真や歌声から本人だと判った。年齢も私と近いらしく歌詞も実感できるものが多かった。そして最近になって今度は新聞に京都のお寺でギタリストの増田俊郎がコンサートをするという記事が出ていた。その記事にはアルバムもリリースしたとあった。それがこのホームアローン。その1番のお気に入りは「Sunset Hills」。この1曲に尽きる。作詞がトシ・スミカワ、作曲は増田本人。これは「コインランドリーブルース」と同じ。 今でも、思い出す。小さな、あの原っぱを。 細い路地を何度も曲がり、高い塀を越えて行った。 雑草と割れた土管と、擦りむいた膝の痛みと、 夕暮れに灯る明かりと、雨の日の捨てられた犬 つまづく度戻ろうと、黄昏を振り返るけど 今はもう見つけられない、あの路地も、あの原っぱも 連れて行ってくれよ、夕焼けが見える場所へ あの日分かれたままの、友達がきっと待っている 今でも、思い出す。小さな、あの原っぱを。 たくさんの夢を見て、たくさんの指切りをした あらから何年も経ち、遠く遠く離れたけど 果たせない約束や、叶わない夢はみんなあそこにある つまづく度戻ろうと、黄昏を振り返るけど 今はもう見つけられない、あの路地も、あの原っぱも (作詞トシ・スミカワ JASRAC R-0070415 LAIDBACK RECORDS LBSC-001) 増田の歌に出てくる横浜や神戸でもそして私の京都でも40年以上前にはどこにでもこんな場所があった。子供たちの秘密の遊び場所が。今は貸しガレージやマンションやフェンスで囲まれて入れなくなってる。子供のころの流行った歌は懐かしく歌うけれど、私たちの年代の子供のころをこれほど言い当てた歌はこの歌以外見当たらないと思う。増田俊郎のCDはワーナー時代2枚、そのベスト盤1枚、Laidbackから3枚を確認している。特に後の3枚には私の気持ちに合う歌が多い。昨年、京都のケーブルテレビで増田のライブを放送していた。クラプトンのような風貌に見えた。「コインランドリーブルース」をセルフカバーしていた。このセルフカバーはLaidbackのCDにも入っている。最後に2001年に亡くなった大好きなジョージハリスンの日本人によるトリビュートアルバムを買った。「マイスイートロード」と何とこれも大好きな「ホワイルマイギタージェントリーウイープス」を彼がやってた。 |
2003年3月23日 |
今日の1枚は「コンプリート1961ビレッジバンガードレコーディングス/ジョンコルトレーン」。ジャズを聴かない人でもコルトレーンやマイルスデイビスの名前だけは知っていると思う。45歳で始めたアーチェリーで知り合った京大のアーチェリー部の学生からジャズのCDの紹介を頼まれた。インパルスのコルトレーンを聴いてジャズが面白くなってきたと。しまったと思った。私は2000枚以上ジャズアルバムを聴いているが、インパルスのコルトレーンも持っているが、特にインパルス後期の演奏はだめ。コルトレーンがすごいと思うのはこの辺まで。ジャズ、コルトレーン通の人からは叱られそうだが好きになれない。彼には別のプレーヤーのアルバムを紹介しコルトレーンは率直に解らないと告げ、インパルス時代のリズム隊のメンツが演奏しているCDを2,3枚進呈した。コルトレーンにはそんなかっこ悪い思い出がある。今日の1枚は元々何枚かでばらばらに発表されていたもので4日分のライブ音源をCD4枚に完全収録している。ここのコルトレーンは自分一人の世界に入る一歩手前の演奏。リズム隊だけの演奏の時、彼らの演奏は生き生きしているのにコルトレーンが入ってくるとリズム隊の存在が消えてしまう。それほどコルトレーンの存在感は大きい。一度聴いてみて。インパルス後期は自分一人の世界にいると私は理解している。日本のジャズファンはそんなコルトレーンが大好きで神のように扱われる。私にはコルトレーンもただのジャズプレ−ヤー。そして日本でのジャズの聴き方にも道(どう)が付いてしまう。私は楽しいジャズ、音楽が大好き。大学時代よくジャズ喫茶へ通ったがみんな黙って難しい顔をして聴いていた。(今はそんなことないか?) ジョンレノンも同じ。教祖や平和のシンボルでもない。ただのロック少年。ロック少年のジョンレノンはよく聴くし、プレスティッジ、アトランティック、インパルス時代のただのジャズプレーヤーのコルトレーンもよく聴く。最後に先日、衛星放送で最近の米国映画を見た。そのある場面でエリート風の黒人と失業寸前の黒人の会話、エリート黒人が「ジャズが好きだ」と言うともう一人の黒人が「今のニューヨークのジャズは白人と日本人が楽しんでいるだけだ」と。 |
2003年3月24日 |
今日の1枚は「オンザコーナー/マイルスデイビス」。ビートルズ、ウッドストック、英国ジャズロックときて大学1年の時このアルバムを聴く。8ビートより細かいビートとパーカッションの洪水の中にミュートの効いたトランペットがパルスのように入ってくる。ロックを聴きなれた私はこの世界へすんなり入っていけた。マイルスだからこれがジャズだと思った。こういうのがジャズなら聴けるとその時は思った。「ブラックバード/ドナルドバード」もその頃聴いた。これもジャズだと思った(ドナルドバードはまた別の機会に)。そしてジャズ雑誌を読み出すと、なぜかその頃のマイルスを評価していなかった。CD店のマイルスのコーナーには「アコースティック・マイルス」、「エレクトリック・マイルス」と分けてあるところがあるが、オンザコーナーは電化マイルス。評論家が良いと言わなくても電化マイルスの周辺のアルバムを聴き始めた。これが私のジャズの始まり。ハービーハンコック、チックコリア、ウェザーリポート、ジョンマクラグリン。「ロックバンドだってやれる」と4ビートを捨てて電化していくマイルス。「ビッチェスブリュー」辺りからジャケットデザインも「黒人の仲間が俺を覚えてくれるように」とアフロアメリカンを強く意識するものになっていった。73年6月の来日京都公演を見に行った。レコードで聴いている時は足や手でリズムを取っていたが演奏が始まると大きな音量に圧倒され金縛り状態だったことを今でも覚えている。その後もマイルスを聞き続けた。新しい録音を聞き尽くすとだんだん昔の皆が良いと言うアコースティック・マイルスへ。コロンビア、プレスティジ時代、より深みに。そしてチャーリーパーカー、JATP、レスターヤング、最後はハードバップ。もう後は泥沼。マイルスから入ったせいかジャズはトランペットが入ったのが好き。 |
2003年3月25日 |
今日の1枚は「オールシングスマストパス/ジョージハリスン」。高校2年の時初めて買った輸入盤がこれ。ビートルズで1番好きなのがジョージ。ビートルズ解散後、ジョンとポールの呪縛が取れたかのように続々とアルバムが出始める。高1の時はKと京都のレコード店しか行かなかったし国内盤しか買わなかった。京都にはまだその頃輸入盤を扱う店がまだ少なかった。高2になってKとクラスが分かれた。ある日Kが大阪へレコードを買いに行こうと誘ってくれた。Kのクラスには大阪まで輸入盤を買いに行っているやつがいて連れていってくれるという。心斎橋の日本楽器でこのアルバムの米国盤と梅田のLPコーナーで「エリッククラプトンソロアルバム」のアトコ盤の2枚を買う。以後LPコーナーへ通うようになる。このアルバムはビートルズ解散後最初に出したソロ(解散前に2枚あるがサントラと電子音楽で全然おもしろくない)。3枚組箱入りでレコードラベルのりんごの色が緑色ではなかった。アップルジャムと書かれた3枚目のジャムセッションのレコードラベルは何とりんごジャムのビンの絵が書かれていた。そのジャムセッションにはクラプトンが参加していると噂されたが参加ミュージシャンリストにはクラプトンの名前はクレジットされていない。でもギターはクラプトンと確信。2001年にこのアルバムのリマスター盤が出た時、ジョージ自身が解説でクラプトンは参加していたと語っている。(でもリマスター盤の色付きジャケットは良くない。やっはり最初のモノクロが良い)「マイスイートロード」や「美しき人生」はラジオでもよく聴けた。ディランの曲もやっている。そういえば「バングラディシュコンサート」ではディランがLPの片面全部使っていた。全体に聴きやすくビートルズ時代のジョージの曲を全部集めたみたいな感じ。話を変えるがそれ以後Kと月に1,2度梅田へ行くようになった。映画を1本観て昼飯食べてLPコーナーでレコード買って最後に阪急梅田の紀伊国屋書店で本を買って京都へ帰る。毎回同じパターン。Kは読書家で紀伊国屋でいろんな作家や評論家の本を買った。私は読書には興味がなく雑誌を買うくらいで本屋には付いて行く程度だった。ある時、小説のコーナーでKが「この小説おもしろいよ」と薦めたのが「さらばモスクワ愚連隊」。それからいろんな小説を読み出す。Kは読書に関して最も影響を与えてくれた友人。そんな訳で五木寛之の単行本だけは処分せずに全部残してある(でもこのごろの五木は宗教的でちょっと)。 |
2003年3月27日 |
今日の1枚は「ライブインニューヨーク/マイルスデイビス&ジョンコルトレーン」。前回京大生とコルトレーンの話をした時思い出したことあった。それが今日の話。このアルバムは1957から59年にかけてのマイルスの未発表ライブ集。題名どおりマイルスとコルトレーンが一緒にやっている、と大手ジャズ雑誌にもジャズ評論家が紹介文を載せていた。これは買いと決めた。CDの解説書にも別の有名なジャズ評論家が細かく録音日時や場所まで解説していた。私は今まで1度もレコードにもなっていない演奏を聴いて満足していた。ところが「レコードコレクターズ」という雑誌に大和明(私が最も信頼するジャズ評論家)さんがそのCDの1曲「マイルストーン」が「マイルスインヨーロッパ」というレコードからのコピーではないかと疑問を投げかけていた。早速持っている2枚を聞き比べてみると何と同じように聞こえる。となるとそのテナーサックスはコルトレーンではない。次号の大手ジャズ雑誌にはやっぱりコピーだったようでその評論家たちが言い訳を書いていた。コルトレーンは「すごいすごい」と言っていた評論家が他人の演奏をコルトレーンだと言っているのを読んで今までの疑問が確信に変わった。ジャズ評論家と言われている人も大した事ない。大手ジャズ雑誌は今でも毎月読んでいるがそれは新譜を知りたいのが目的。CD評はレコード会社の宣伝のように良いことばかり書いてある。評論家が良いと書いていても買わなくなった。その評論家にも嫌いなジャズもあるはずなのになんでみんなすばらしい作品ばかりなの。演歌の盗作問題が起こったとき北島三郎が「演歌が危機だと言われている時にそんなこと問題にするな」と言ったとか言わなかったとか。 |
2003年4月1日 |
今日の1枚は「クレイジーシングルス/ハナ肇とクレイジーキャッツ」。CD2枚にシングル中心に42曲収録。ハナ肇(ドラムス) 植木等(ギター)谷啓(トロンボーン)犬塚弘(ベース)桜井センリ (ピアノ)安田伸(テナーサックス)石橋エータロー(ピアノ)。完全なジャズバンド編成。石橋が抜けて6人編成になったがハナ、石橋、安田は亡くなった。一世代前の子供たちはドリフターズだが、その前の世代、つまり私たちはクレイジーキャッツ派。私たちは生まれた時からテレビあった世代じゃない。私は1953年生まれ。テレビ放送が始まった年である。しかもテレビの一般家庭への普及はもっと時間がかかった。親父は新物好きだったのか経済的に余裕があったのか私たち兄弟が物心ついた頃テレビが家にやってきた。真空管のテレビ。スイッチを入れても5分ぐらいは画面が映らない。もちろん白黒。大相撲の若乃花の分解写真,力道山,月光仮面。その頃の記憶の一つが「おとなの漫画」。青島幸男がその日のニュースネタをギャグにしクレージーが演じる。幼い子供にはニュースは分からなくてもクレージーのギャグは面白かった。毎日、放送があったと思う。もちろん生放送。ハナが持った出演者などを書いた画用紙をテロップ代わりにテレビに映してハナ自身がそれを読み上げた。テレビが家に来たのが57,8年、おとなの漫画が59年頃。クレージーの歌は「スーダラ節」などコミックソングがほとんどだがメンバーはジャズバンド出身者ばかりで楽器をやる時はジャズしていた。クレージーが自分たちで演奏するバンドのテーマミュージックが「クレージーインリズム」だと知ったのはジャズを聞き出してからのことだった。クレージーの出ているテレビは殆ど見ていた。音楽ものが多かった。ひょっとするとクレージーキャッツが私のジャズ初体験だったのかもしれない。 |
2003年4月2日 |
今日の1枚は「ヘッドハンターズ/ハービーハンコック」。73年録音。ハービーもエレクトリックマイルスのメンバー(ピアノ、キーボード)で当時「ファンクミュージック」と呼ばれディスコでもこのアルバムは流行ったんじゃないかな。ロック少年だった私にもこれがジャズならジャズもなかなかと思わせた1枚。74年の夏だったと思うがハービーの京都公演を見、翌日三重県のヤマハ「合歓の郷」の「ネムジャズイン」(当時流行ったオールナイトのジャズフェスティバル)で二日連続ハービーを見る。彼はシンセサイザーを演奏する時魔法使いのように手をふわふわさせて会場を盛り上げた。またこのアルバムにも入っているが「ウォターメロンマン」では打楽器奏者がコーラのビンで「ホーホー」とやっていた。これも会場でうけた。ハービーはジャズピアニストで60年代からジャズアルバムを多数出している。20年後の夏休みに家族で「合歓の郷」のホテルに宿泊した。リゾート設備が整っていて楽しくすごした。そして当時2,3回かよったネムジャズインの会場も当時のままあった。(でも最近は使われていないのか客席の屋根のシートに穴があいていた)コンサートの時に座った所を思い出しそこから会場を眺めると当時のことが思い出された。今日の話はここから。その20年後の合歓の郷で初めてアーチェリーをする。10メートル先の的を射った。ヤマハが洋弓具の世界的メーカーだとは知らなかった(昨年02年ヤマハはアーチェリー事業から撤退)。京都に帰ると電話帳で下鴨の「サンウッド」を探し訪ねる。20年近くやっていたテニスをやめたばかりでアーチェリーに興味が沸いた。それから5年続いている。競技に出たいというのではなくストレス発散が目的。この二つのスポーツには歴然とした差がある。テニスは大衆的でテニスクラブはどこにでもあるが一方アーチェリーは高校大学を中心とした学生スポーツ。社会人もいるが学生の延長。アーチェリーのスポーツ人口はテニスの1%以下ではないか。まさにメジャーとマイナー。そのためか弓具も非常に高い。最後にテニス仲間だったSさんが数年前脱サラして志摩半島の英虞湾の船越という所(国道260号沿い)で「のあ」という喫茶民宿を始めた。夏休みに合歓の郷へ行ったのは懐かしいSさんに会うのも目的の一つだった。 |
2003年4月4日 |
今日の1枚は「MASH/Johnny Mandel」(映画「マッシュ」のサウンドトラック盤)。70年公開の反戦ブラックコメディーの戦争映画。朝鮮戦争時の野戦病院での軍医達の無茶苦茶な行動や休暇でやってくる日本が中国みたいに描かれていた。高校の時見た。このCDは米国盤。国内盤も出ていたが国内盤は権利関係でジャズピアニストのアーマッド・ジャマルの演奏する「マッシュのテーマ」がカットされていて聴く値打ちがないので米国盤を探した。このテーマソングの題名が「自殺は容易い」だったか皮肉なつけ方だった。だから普通は「マッシュのテーマ」と呼ばれる。きれいなメロディなのでジャズでもよく演奏される。ビル・エバンス、ナット・アダレー、上記アーマッド・ジャマル。このマッシュのテーマがイラク戦争のテレビニュース番組のBGMに使われた。破壊された家々や戦闘の映像にながされていた。どれだけの若い人がテレビ局の意図を理解しただろう。 |
2003年4月5日 |
今日の1枚は「ケリー・ブルー/ウイントン・ケリー」。59年録音のジャズピアノのウイントン・ケリーのセクステットとトリオ演奏。今年手に入れたのは高音質盤の再発CD。日本にはジャズに関してオリジナル盤崇拝という宗教のようなものがある。社会人1年目の正月にボーナスが入ったので大阪の廃盤レコード店で9千円も出してこのレコードをオリジナル盤と信じて手に入れた。他に「サムシンエルス」のモノラル盤もあったのになぜかこの「ケリー・ブルー」を衝動買いしてしまった。ジャズには3大レーベルがあって「ブルーノート」「リバーサイド」「プレスティージ」がそれだが3社とも倒産したり大きなレコード会社に吸収されたりしている。このレコードもリバーサイド盤。リバーサイドというレコード会社は一番不運で、倒産してから販売会社が何社か変わっている。このレコードはオリジナルではなく倒産してからの再発盤だが後から調べるとジャケット写真が少し違っていたしレコードラベルから倒産した製作会社の名前が塗りつぶしたように消されていた。9千円も出してこんな珍盤欲しくなかった。「物を見る目もない!」そのレコードも今は手元にない。この一度の失敗の経験からオリジナルへの憧れは消え失せ国内盤や輸入再発盤を数多くそろえる様になった。それ以後買うLPやCDはある程度下調べをするようになった。特にジャズアルバムは再発や販売会社の変更や輸入盤によってジャケットのデザインの変更や録音データが載ってないものが出てくる。今でも年に4,5枚はすでに持っている内容のCDを買うことがある。そういう時は悔しい。「ケリー・ブルー」を思い出す。 |
2003年4月8日 |
今日の1枚は「ルーテイクスオフ/ルードナルドソン」。57年録音のブルーノートのハードバップジャズ。リーダーはアルトのドナルドソン。メンツにトランペットのドナルドバード。ドナルドバードが好きで一時期ドナルドバードの入ったジャズアルバムを片っ端から集めた。これもその1枚。今日の話はジャズじゃなくて戦争の話。このジャケット写真で思い出した。このロケットはアポロじゃなくてジェミニかな?アポロが月に降りる前後から当時の週刊雑誌に月面写真が載りだした。科学少年だった私は「ライフ」という米国の写真週刊誌?を6ヶ月間購読した。毎週郵送されてきた。(宛名は全部英字でタイプされていた。米国から直接送られてきたのだろうか?)アポロ計画の写真以外にも色々な写真が載っていたが興味はなっかた。毎週期待したのは科学写真だった。ところがある週送られてきたのは燃え上がる東南アジアの農家と米国軍の兵士の写真。あれが「ソンミ村虐殺事件」の写真だったのかと後で思った。炎が上る農家を何ページも何カットも載せていた。ものすごく現実感のある写真だった。あの燃え上がる家の中にまだ人がいるのではないかと思えるほど。ロケットの写真を見るとベトナム戦争が思い出される。科学少年に月面着陸という夢を与えてくれた(アポロ計画もミサイル技術の応用だといえばそれまでだが)米国が同時にベトナムで戦争をしているとは当時の中学生でも矛盾を感じた。 |
2003年4月11日 |
今日の1枚は「僕の音楽人生/服部良一」。最近50歳に近づくと歌謡曲に興味が出だした。ある雑誌の影響か。30年以上前「ニューミュージックマガジン」を中村とうようさんが編集していた。友人のKから「ウッドストック」特集のその月刊誌をもらった。ロックに飽きるまで5,6年毎月買っていたと思う。ロックの新譜の良い悪いをはっきりいうので気にいっていた。ジャズを聞きだしてからは読むのをやめた。今は「ニュー」がとれている。15年ぐらい前、本屋で「レコードコレクターズ」という雑誌を見かけた。月刊誌ではなかったようで2ヶ月に1冊だったかな。編集が懐かしい中村とうようとあったので買い求める。内容はとうようさんらしく内外のポピュラー音楽全般。タンゴやラテンからジャズ、歌謡曲、落語までレコード化されたものを扱った。知らないジャンルが多くて面白く読んだ。今も読んでいるが今は編集者が若くなり,売れ線のロックの特集が多いが記事には多くのジャンルが含まれている。何年か前、財津和夫が服部良一に扮したテレビドラマを見て服部良一の音楽に興味を持った。服部もジャズが出発点だったらしい。服部の曲は純然たる演歌ではなく日本のポピュラー音楽と言ったほうが良いかもしれない。ちょうどレココレに「僕の音楽人生」のCD評が載ったので買い求める。昭和11年から35,6年の日本コロムビア時代の録音でほとんどがSP時代である。面白い話は「青い山脈」のメロディを終戦直後の大阪から京都へ行く買出し列車のレールの音がヒントになって列車の中で作り上げたという。淡谷のり子,二葉あき子,笠置シヅ子,藤山一郎など名前は知っていたがCD3枚の殆どの曲ははじめて聴くものだった。最近やはりレココレにビクター時代の「東京の屋根の下/服部良一」のCD評載る。それも入手する。 |
2003年4月16日 |
今日の1枚は「眺めのいい部屋/オリジナルサウンドトラック」。クラシックは殆ど聴かないけれどこの映画で聴かれるソプラノ歌手のキリ・テ・カナワが歌うプッチーニの「私のいとしいお父さん」は印象に残る。10年ぐらい前テレビの深夜映画を録画して翌日見ると野球の延長で途中切れ。しかたなくレンタルで見直した。ハッピーエンドのラブストーリーで、産業革命期のイギリスが舞台。イタリア、フィレンツエでであった良家の娘と青年。青年の一途な愛を理解しながらもイギリスに帰ってから打算的な別の男と婚約してしまうが最後は私たちが若い頃夢見たようなハッピーエンド。青年の愛が本物だと徐々に解っていく世間知らずの娘の役をヘレン・ボナム・カーターが好演。本当にかわいい女優さん。若い人はこういう映画をどう見るのだろうか。今風の映画ではないな。でも私は好き。「卒業」、「ローマの休日」などまた別の機会に。話は変わるが、私が行っているアーチェリークラブ「サンウッド」には月例の記録会があって高得点者から福袋のように中が分からない賞品を全員がもらえる。ある記録会の私の賞品の中身はCDだった。ロンドンレーベルのクラッシクのCD。クラシックは聴かないので誰かにあげようかと思ったがCDを見ると「夢見る頃を過ぎても(アメリカンスタンダードヒッツ)/キリ・テ・カナワ」とある。曲はジャズスタンダードばかり、編曲はネルソン・リドル。彼はジャズボーカルの編曲や演奏指揮をよくやってる。面白そうなのでもらって帰る。偶然サントラ盤のソプラノ歌手と同一人物だと後日判った。 |
2003年4月19日 |
今日の1枚は「ローヤル・ストレート・フラッシュ1971−1979/沢田研二」。タイガース(メンバーの森本太郎は立命館高校の卒業生。その話はまたいずれ)解散後のジュリーの71年から79年のシングル集。当時、フランスやドイツで発売された曲もあった。このCDを選んだのは最近の新聞に超音速機のコンコルドが今年で営業飛行を終了するという小さな記事を見たからだった。76年の2月に大学生協が募集したヨーロッパ21日間の卒業旅行に参加した(旅費の金額は忘れたが旅行代金を銀行へ振り込みに行った時女子行員がこんな安くて行けるのかと驚いていた)。立命館、同志社、京都産大、京大、名古屋、東大、早稲田などの学生が参加。今では考えられない羽田から南回りで香港、バンコク、カラチ、そしてアテネに到着(帰りはジュネーブから逆に戻る)。添乗員もなしで目的地に着くと現地の旅行社の駐在員出迎えてくれてホテルに着くまでが市内観光、後は終日自由行動。次の国へ行くのも空港や駅で駐在員にチケットを渡され自分たちだけで移動していった。単なるパック旅行ではなく大学4年ばかりだったので皆で協力しあってなかなか面白い旅行だった。パリの空港からの出発の時、女子学生達が日本では出ていないジュリーのレコードが売っていると売店へ走っていた。私たち男子学生はジュリーには興味がなく搭乗を待っていた。我々の旅客機がパリを飛び立つ時、駐機場にあの独特の台形の垂直尾翼が見えた。コンコルドだった。あの頃大西洋横断に就航したばかりだったと思う。感慨深い思い出。 |
2003年4月23日 |
今日の1枚は「シングルコレクションズ*ザ・ロンドンイヤーズ/ローリングストーンズ」。ストーンズの60年代のシングル集、CD3枚に58曲収録。昨年「フォーティーリックス」も出たが最近の曲はあまり知らない(ウィンドウズのCMぐらいか)。60年代のストーンズはラジオでシングルを聴くぐらいだった。アルバム単位で聴いたことはなかった。それはやはりビートルズがいたからだろう。当時ビートルズ派とストーンズ派があったように思う。私は完全にビートルズ派。今でもミックジャガーがロックやてるのを見ると、アルバムが30枚以上あるのを思うともしビートルズが今もやっていたらどんな音になっていたか想像したくもなる。よく比較される労働者階級出身と大学生もいたのだから少しは上の階級だったのか、リバプールとロンドン、そして音楽性では「地方都市リバプールから登場した前者がモダンな方向を目指し、首都ロンドンから登場した後者がトラッドな思考を持っていたのはその後の各々の発展と合わせて興味深い問題」(ブリティッシュロック大名鑑より)というように違いが鮮明になる。ストーンズはブリティッシュブルースの重鎮であるアレクシス・コナー影響がおおきい(クリームやレッドツェッペリンも)。だから子供の頃ポップなビートルズの方が入りやすかったのかな。もう一つストーンズにいけなかったのは「オルタモント」事件。ライブの警備に雇ったヘルスエンジェルが黒人青年を殺した事件。ラブアンドピースなんて言われていた時期ものこれでポシャッていく。ストーンズが悪いわけではないけれどこれも音楽以前に入っていけなかった原因かもしれない。それにストーンズの方が年上なのかビートルズより不良ぽく見えて、ビートルズの細身のスーツとチェッカーブーツほうがカッコよく見えた。 |
2003年4月29日 |
今日の1枚は「フィールズ・グッド・トゥー・ミー / ビル・ブルッフォード」。ビル・ブルッフォードはイエスやキングクリムゾンのドラマー。彼の初ソロアルバム。77年録音。ソロのなってからは徐々にジャズに傾倒。最近はジャズバンドをやっているけれど日本のジャズ専門誌ではあまり評価されないのはやはりロックバンド出身からか。今日、大阪へディスクユニオンの出張販売に行ってきた。このCDはそのうちの1枚。やはり東京のCD屋は欲しいものが揃っている。「ローマテリアル」「イフ」「ニュークリアス」「ハットフィールドアンドノース」「ソフトマシーン」を買う。東京は住みたいとは思わないが日本の人口の1割が住み、3割の生活消費をまかなう所。だからCDにしても関西に比べて色々揃っている。京都でこれだけを一度に揃えるなら何軒のCD屋を回らなければならないか。悔しいけれど東京は買い物するには良い所だろう。普段はネット通販(東京)を利用している。なぜ東京に住みたくないか?「関東震災60年周期説」。もう周期から10年以上過ぎているからそろそろ危ない。あの巨大な繁栄が危うさの上に成り立っているのは日本の経済も同じように思えてならない。京都も同じだ。阪神大震災でしばらくは関西では巨大地震は起こらないと言った人がいたが高校時代地学部にいたおかげで京都には活断層があって歴史的な記録もそろっていて過去に何度も巨大地震があったことは分かっている。だから東京も京都も危ないのは同じだが東京で起きれば日本の経済や政治が麻痺するのは確実。今日はCDを買いに行ってそんな地震のことを考えてしまった。 |
2003年5月2日 |
今日の1枚は「CCSU」。CCRではない。70年から英国のアレクシス・コーナーが始めたビッグバンドロックでこれは72年録音の2枚目。ストーンズのページでも書いたがこの人は英国ロック界に大きな影響を与えた人で(もう一人はジョン・メイオールだと思う)ストーンズ、ツェッペリン、クリームなどの英国の多くのロックグループのメンバーに影響を与えている。でも私が彼のことを知ったのはこのCCSを72,3年に聴いてからで当時1枚目の「CCS」を中古盤屋などで探したが国内盤でも見つからなかった。それほど当時日本では話題にならなかった (英国ではラジオ番組のテーマソングになったことがあるらしい)。2,3年前、海外のCDネット販売サイトでたまたまCCSと打ってみたら2枚検索できた。大学生の頃探し回ったことを思い出しすぐディスクユニオンに注文する。収録曲には彼の教え子であるストーンズとツェッペリンの曲(特にブラックドッグはかっこいい)もある。管楽器も入っていて私は気にいっている。もう一つ覚えているのはこのCCSのレコードラベルがとてもきれいだった事。「RAK」というレーベルでカラーのイラストで帆船が描かれていた。写真を載せたいがLPは処分してしまいもう手元にはない。もし中古盤屋でRAKのLPを見つけたらラベルを見たらいい。クリス・スペディングのLPにもRAK盤があったと思う。 |
2003年5月10日 |
今日の1枚は「トゥー・ジ・アイビー・リーグ/ナット・アダレー」。56年録音、ナット・アダレーはキャノンボールの弟でコルネット奏者。アダレー兄弟で演奏するエマーシー盤のファンキーな1枚。このアルバムには思い出がある。大学時代ジャズレコードには廉価盤ブームがあった。LP1枚が1100円。消費税も無かったし大学生協で買えば1割5歩引き、千円札1枚でお釣りが来た。サボイ、エマーシー、プレスティージなど多くを買い揃えた。このアルバムはタイトルで買った。中学高校大学とアイビーファッションが流行った。石津健介さんの「VAN」さえ着ていれば流行から乗り遅れることはなかった。1歳年下の私の弟は同志社大の1年の夏休みにアーモスト大学語学研修で、2年後東海大医学部に入り直して夏休みにエール大学出身の教授に付いてエール大の学生寮で生活しながら語学研修やアメリカ旅行をしてきた。アーモストの時は民芸品などの観光土産ばかりだったが、エールの時は違った。「ブルックス・ブラザース」、「J・PRESS」のネクタイ、ボタンダウンシャツ、ブレザーボタンなど。リーバイスのジーパンもあった。エール大の近くにJ・PRESSの店があり弟は本物のアイビーに感化されたらしい。弟がエール大に滞在していた頃、私は京都で友人から彼のガールフレンドがデパートのメンズショップでアルバイトしているからとそのブランドマークの入った広告マッチを貰ったが興味はなかった。弟がアメリカから帰ってきて土産を見て驚いた。マッチのマークのネクタイが出てきたのでJ・PRESSのショップが京都にあると弟に言うと海外での販売はしていないとアメリカの店員が言っていたとかで、弟は信用できずそのマッチを持ってそのショップを覗きに行った。疑っていた弟はそこの中島店長と意気投合して帰ってきた。中島さんの話によると中島さんたち何人かでJ・PRESSのライセンス生産販売権を交渉してオンワードと契約したということだった。私も就職活動用のスーツを中島さんのところで買って以後VANからJ・PRESSにシフト。以後中島さんがオンワードを辞めるまで世話になった(そしてVANを着なくなった頃VANが倒産した)。このアルバムがここでつながる。タイトルが良いからと「トゥー・ジ・アイビー・リーグ」をもう1枚買い中島さんの店に持っていった。次回店を覗いてみるとスーツのディスプレーの横にこのレコードジャケットが飾られていたしこのジャズが鳴っていた。なんとうれしい思い出である。でもサラリーマンをやめて家業に就き結婚して子供ができるとカジュアルが中心になり中島さんが辞めてからは店にもあまり行かなくなった。 |
2003年5月14日 |
今日の1枚は「ザ・ビーチボーイズ・シングルコレクション」。62年から69年までのシングルAB面全曲をCD3枚に収録。アイビーファッションブームの頃の思い出でをもう1枚。ビートルズのお陰でアメリカのビーチボーイズは私にとっては「サーフィン」や「ホットロッド」ミュージックぐらいにしか理解していなかったし夏になったらラジオから流れる定番ぐらいにしか思っていなかった。だからこのシングル集を買った。アルバムの「ペットサウンド」を聴くのはずっと後から。でもファッションに関してはアイビーが東海岸だったのに対して彼らは西海岸だったけれど縦じまのボタンダウンシャツに綿パン、デッキデューズ。あれはよく真似した。(ビートルズはファッションに関してはサイケに走ってあまり良く思わなかった)。レコードジャケットを見ればこれはアイビーだった。VANのテレビCMにブラザーズ・フォーが番傘持って出ていたけれどブラフォーよりビーチボーイズの方がアイビーらしかった。ブラフォーがカレッジフォークだったのと日本で知名度が高かったので使ったのか、あの頃何度も来日していた。そう言えばビーチボーイズは日本に来たことあるんだろうか。 |
2003年5月17日 |
今日の1枚は「ビートルズ・ソングブック/ブラザーズ・フォア」。66年録音。若い人はブラ・フォなんて知らないだろう。3,40年前にアメリカンフォークソングのブームがあった。白人4人の大学生よるカレッジフォークが出発点。コーラスハーモニーが綺麗だった。ジョーン・バエズ、ボブ・ディランのような社会性はなかった。ディランはフォークロックになっていくがブラ・フォはただのフォークソングだった。高校の時、弟がブラ・フォのベストアルバムを買ってきた(サイモン・ガーファングルも弟が先に聴いていた)。そのアルバムには前回紹介したVANのTVCMに使われた曲も入っていたがどんな曲だったかもう思い出せない。「グリーンスリーブス」は覚えている。コルトレーンの演奏を聞いてブラ・フォが懐かしく思い出された。CDの帯に結成40周年・来日記念盤(2000年)とあった。この人たちは過去の人気を引きずって今でもやっているのかと思ったけれど「ベンチャーズ」(ベンチャーズは今年も来日すると新聞に広告が出ていた)同様、今は本国より日本でのほうが有名かもしれない。話を戻すと、このCDを買ったのは懐かしかったからだけではなくビートルズ曲集だったから。「枯葉買い」の他に「ビートルズカバー買い」もする。ジャズやクラシックでもビートルズ曲集はたくさんある。珍しそうなものは見つけたら買うようにしている(モータウンレーベルのビートルズカバーはこのブラ・フォとは対極で真っ黒で面白い)。このアルバム、ビートルズがフォークソングになっている。CDの解説にこのアルバムが音楽界で出た最初のビートルズのカバーアルバムだと書いてあった。ビートルズが解散してからのカバー集は多いが66年当時ビートルズ全盛期にアメリカの人気フォークグループがカバーしているのはビートルズを無視できなかったことの証明だろう。 |
2003年5月24日 |
今日の1枚は「ベラドナ/イアン・カー(ニュークリアス)」。イアン・カーの72年発表のソロアルバムになっているけれど私にとってこれは大好きなニュークリアスの1枚。ブリティッシュ・ジャズロック。イアン・カーはマイルス・デイビスの影響を受けたイギリスのジャズトランペッターでこの頃は電化マイルスのもろ影響下にある。もう30年前になるけれどLPコーナーでこのヴァーティゴ盤が売り切れていたのでいろんなレコード屋を探したけれど見つからなかった。大学3年の春休みにイギリスへ旅行に行く同級生に頼んでイギリスで買ってきてもらった。おかげでニュークリアスのヴァーティゴ盤はすべてイギリス盤で持っている。後日、今は撤退してしまったヴァージンメガが京都に出店した時「ベラドナ」を含むニュークリアスの初期の4枚を輸入盤CDで買った。日本で人気のないこんなCDが揃っているのはさすがにイギリスのレコードチェーン店だと感心したものだったがあの赤いビニール袋は消えてしまった。今度買ったのは紙ジャケットの日本盤CD。渦巻きの例のレコードの内袋まで付いている。「ベラドナ」のLPと見比べるとすべてがミニチュアになっていておもしろい。今年はすごい年になりそう。ニュークリアスが続々とCD化される。ソフトマシーンがほとんどCD化され未発表のライブ盤も出尽くしたところで次はいよいよニュークリアスの番になったのか。ネット検索ではヴァーティゴ盤のCD化が数枚、それに未発表のライブ盤が2枚も出るそうだ。しばらくはCD屋へこまめに通わねば。 |
2003年5月30日 |
今日の1枚は「コンプリート・アット・ザ・プレリュード/レッド・ガーランド」。これは今日買ったばかりの59年録音のジャズピアノトリオの有名なライブの完全版CD3枚組。レッド・ガーランドはプレスティージ時代のマイルスバンドのピアニストだったが84年に亡くなっている。晩年まで多くのアルバムを残している。このライブ録音はLPでは何枚かに分散していて全部聴いたことがなかったがこれで通して聴けるようになった。ジャズのライブ録音盤はLPの収録時間の関係からか数枚に分割されて販売されることが多かったがCD時代になってジョン・コルトレーンやビル・エバンスやアート・ペッパーの「ヴィレッジ・バンガード・ライブ」、エリック・ドルフィーの「ファイブ・スポット・ライブ」、リー・モーガンの「ライトハウス・ライブ」、マイルス・デイビスの「プラグド・ニッケル・ライブ」などが後に完全版になった。一番すごいのは同じくマイルスの「アット・モントルー」で73年から91年までのスイス・モントルー・ジャズ・フェスでのマイルスのライブをCD20枚に完全収録している。ジャズのライブ録音は数十人単位に観客のジャズクラブでの収録が多く何百人単位のホールライブに比べると人たちの話し声、グラスの当たる音など入っていたり、客席が近いせいか客とのやり取りが入っていたりしてくつろいだ雰囲気が録音に出ていておもしろい。ロックなどに多い騒々しいホールライブ盤よりジャズのクラブライブ盤のほうが一人一人の客の乗りが音に現れていて私は好きだ。 |
2003年6月02日 |
今日の1枚は「エクシス 笙/吉田弥生(演奏) 當野泰伸(製作)」。私にホームページを作るように勧めてくれたのが和装図案家の林武さん。彼のリクエスト(ハリー・ビェラフォンテ)には答えられないが、私も和装の友禅染色業なので何か着物に関したCDはないかと探してみたが、着物姿の女性演歌歌手のジャケット写真のCDなんて持ってないし何かないかと思ったら身近なところにCDを作ってしまった人がいた。友禅には模様の色の枚数だけ型(シルクスクリーン型)が要る。私の染工場は當野兄弟に型を外注している。6年ほど前、兄の泰伸さんが楽器を作りその演奏をCD化したと言っていた。それか京都新聞の記事になり、後日テレビのNHK大阪の夕方のローカルニュースの中で演奏が中継された。雅楽の笙を電気的に西洋楽器の音階がでるようした鍵盤楽器?(間違ってたらごめんなさい。よく見ていなかったのでどんな形だったか思い出せない)を作った。雅楽の笙がどんな音がするのか私には分からないがこの楽器の音はパイプオルガンのように聞こえる。曲目はイエスタデーなどポピュラー系のものがほとんど。演奏者の吉田弥生という人も有名な人らしい。當野の兄さんを最近見かけないと思ったらネットで笙製作者として載っていた。兄さんも製作者としては有名だと弟さんが言っていた。型屋の方は弟に任せているらしい。 |
2003年6月7日 |
今日の1枚は「ヘヤピン・サーカス/菊池雅章」五木寛之原作の同名小説の72年製作映画のオリジナルサウンドトラック。菊池はジャズピアニスト。このアルバムを思い出したのは新聞に京都、宝ヶ池のヘヤピンカーブが高架道路に改修されるという記事が載っていたから。物語はレース中の事故で競争相手の死なせてしまいそのためにレーサーを辞めてしまい今は運転免許取得の個人指導員をしている主人公が過去に指導して10日程で免許を取った若い女性に再会する。彼女は運転技術は抜群だが深夜の高速で競争相手を捜し出し急カーブ誘い込み相手を事故らせて遊んでいた。主人公がそのことに気づき彼女に止めさすために囮となって高速を暴走するが彼女の方が急カーブで曲がりきれず壁にぶつかり死亡する。この女性役を江夏夕子が演じた。今の五木からは考えられないハードボイルド?な小説だった。 高校時代にこの小説(単行本「四月の海賊たち」に収録)を読んだ。五木寛之の小説からは車やジャズの感化を受ける。大学入学が決まった72年2から3月に免許を取りに教習所へ通った。大学1年の時セリカGTに乗っていた。排ガス規制前のことで市販車なのにソレクッスのツインキャブが付いていた。弟が岩倉の同志社高校に通っていたので大学が暇な時よく送っていった。京都市内を北上し北山通りを東へ植物園を越えて宝ヶ池方面へ曲がる。ゆるい上り坂が急勾配になりあのヘヤピンカーブをシフトダウンして駆け上がると宝ヶ池が見えてくる。トンネルを抜けて1本道を行くと同志社へ、弟を降ろしそのまま直進しT路を東へ、しばらく行くと大原三千院への分かれ道、まっすぐ行くと高架道路を上がれば北白川から銀閣寺、高架道路を潜れば川端通りから京都市内へ。これがドライブコース。30年前の思い出。 最後に同じく30年前、菊池のコンサートに行った。彼が演奏拠点をアメリカに移すための最後の日本公演だったか帰国コンサートだったか。ピアノソロの時のうめき声には驚いた。でも聴き込むとうめきもジャズの一部に聴こえてきた。後にキース・ジャレットのうめき声を聴いたときはぜんぜん違和感はなかった。菊池雅章を聴いていたおかげ。 |
2003年6月14日 |
今日の1枚は「ニュークリアス(イアン・カー)/ライブ・イン・ブレーメン 1971」。とうとうニュークリアスの未発表ライブ音源が出た。ドイツのラジオ放送用らしい。CDの解説にもあったがソフトマシーンのライブ音源も出尽くし残るブリティッシュジャズロックの大物はニュークリアスだけとなった。モントルーやニューポートにも出ているから発掘屋さんは早く見つけてほしい。個人的にはギターのクリス・スペディングを聴きたかったが彼はもうグループを脱退していて代わりに「ロック・ワークショップ」のレイ・ラッセルが参加している。でも彼はアルバムには一回も参加していない。それにしても輸入盤の宣伝文句に「後のソフトマシーンのメンバー3人参加」とある。やはりソフトマシーンは人気があるなあと思ったが私はソフトマシーンよりニュークリアスの方が好き。ソフツはメンバーチェンジしてアングラバンドからフリー、ジャズロックへと変わり最後はメンバー全員が入れ替わりバンド名は同じでもアルバムの音楽性が年代が違うと一致しない。その点、ニュークリアスはリーダーのイアン・カーは不変だし、元々彼がジャズトランペッターなので私の好きな管楽器が必ず入っているしジャズとイギリスのロックとの融合だと思っている(アメリカのジャズロックとはちょっと違う)。でもこちらもソフツと同じようにメンバーチェンジを繰り返し音楽性も変化してきているがこちらはすべてのアルバムにおいてイアン・カーの考え方が一本通っているように思う。もう1枚ニュークリアスのライブが出ているそうな。早速手に入れることにする。 |
2003年6月18日 |
今日の1枚は「バニシング・ポイント(オリジナル・サウンドトラック)」(71年公開)。車関係の映画で邦画は前回紹介した「ヘヤピン・サーカス」、アメリカ映画はやはり高校の時見たこの映画を紹介しなければ。これも元レーサーで今は車の陸送屋の主人公がデンバーからサンフランシスコまでの車の陸送を15時間で行う賭けをする。後は薬に頼った爆走とそれを阻止しようとする警察とのカーチェイスの連続。その頃流行った「ロードムービー」の1本。「ニューシネマ」なんて言われたが「イージーライダー」よりこちらの方が私としては記憶に残る。爆走の中、主人公は過去をフラッシュバックさす。レース事故、ベトナム戦争、警官になり上司の悪事で上司を殴り辞職。また道中でいろいろな人に出会う。特に盲目の黒人のFM局のディスクジョッキーは警察無線を傍受して放送で彼を助けるが、最後は警察に利用される。この辺はちょっとだけイージーライダーみたい。人々の助けでサンフランシスコに近づくが最後は道路封鎖のブルトーザーに突っ込んでいく。題名の通りそこが消滅地点。この映画の見方が段々変わってきた。高校生の時は猛スピードの爆走シーンのかっこよさとカーラジオから流れる当時のアメリカのロックが聴けたことだった。このCDにも当時を思い出させるロックが入っている。数年前に衛星放送でこの映画を見た。懐かしさも手伝って観たが、最後のシーンでバリケードに突っ込み燃え上がる車を消防隊が消火する。人々がそれを見守る。誰も安堵などしていない。ただ黙々と作業する人々を映し出しながらエンディング。当時まだベトナム戦争は続いていた。秩序を守ろうとする警察とアメリカ政府をダブらせていたのだろうか。おっさんの考え過ぎか。最後にこの映画には「デラニー・アンド・ボニー」が新興宗教の集会のシーンで1曲歌うところがあるが、どの人がデラニー・ブラムレットとボニー・ブラムレットなのか当時は分からなかった。これもこの映画の思い出。 |
2003年6月22日 |
今日の1枚は「ムーン・リバー/オードリー・ペップバーン・スクリーン・テーマ・ベスト」。グレゴリー・ペックが亡くなった。中学高校と映画少年だった。でもよく見たのはSF、アクション、戦争映画だった。高校の文化祭の映画鑑賞会で何度目かのリバイバルの「ローマの休日」を見た。こんなロマンチックな映画は初めてだった。いっぺんにオードリーのファンになった。以後オードリーの映画は最後の「オールウェイズ」まで見た。「ローマの休日」は私の生まれた53年公開で私が見たのはその十数年後、それからテレビやビデオで何度も見た。有名なスペイン広場のアイスクリームのシーン、時計台の時間がおかしいことに気が付いた。ラストのグレゴリー・ペックが最後に一人で会見場を出て行くシーンも忘れられない。彼が亡くなったと聴いて彼には悪いがやはり思い出すのはオードリーの方、確か彼女が「ムーンリバー」を歌っているCDを持っていたので引っ張り出した。子供の頃「ムーンリバー」といえばアンディー・ウイリアムスだった。アンディーの映画主題歌集のLPを持っていた。ムーンリバーの曲は知っていたが映画はずっと後になって見た。後に映画「ティファニーで朝食を」を見て彼女自身が窓際に腰掛けてムーンリバーを歌うシーンがあった。この映画もラストの雨の中、猫を間にジョージ・ペパードと抱き合うシーンの猫の表情が忘れられない。彼女の歌うムーンリバーはサントラ盤にも入っていないらしくこのCD(LPのCD化)で初めてレコードとして聴けるようになった。彼女の少し鼻に掛かった声で静かに歌っている。この曲はヘンリー・マンシーニが彼女の音域に合わせて彼女のために作曲したという。 こんなロマンチックな映画の話に付け加えるにはどうかと思うが、その翌年の文化祭の映画鑑賞会はジャン・ポール・ベルモンドの「気狂いピエロ」?だった。彼が恋人を抱きながら彼女の胸を揉むシーンは高校生には強烈過ぎた。映画の内容は覚えていないがそのシーンだけは鮮明に今も覚えている。 |
2003年6月28日 |
今日の1枚は「ライブ・アット・ザ・BBC 1971&1982/ニュークリアス」。前回のニュークリアスで書いたようにこちらも大好きなブリティッシュ・ジャズロックバンドの未発表ライブ音源。こちらはイギリスBBC放送の放送音源でスタジオライブらしい(でも観客の拍手など聞こえず放送用の録音か?)。前半3曲が71年、後半3曲が82年と10年の開きがあるが何と言っても71年の3曲が聞き物。前回の「ブレーメン」と違ってジェフ・クライン(ベース)、クリス・スペディング(ギター)も参加し初期のオリジナルメンバーが揃っている。観客がいてのってくるはずの「ブレーメン」のライブよりもBBCの方が管楽器のイアン・カーもブライアン・スミスものっていて迫力がある。30年前、オリジナルメンバーによる3枚のアルバムから聴き始めた私にとっては聴き慣れた音が少し荒っぽく聴ける71年の音源は30年後に見つけた宝物のようだ。それにしても最近BBCの放送音源が続々CD化され(ビートルズ、クリームなど)嬉しいかぎりだけれど英国営放送のBBCのロックなどの歴史的な認知度に比べて当時のNHKはロックなんか放送していなかった。NHK・FMなんか殆どクラシックで邦楽やジャズが少しあった程度。70年に民間FM放送(FM大阪)が始まった時NHKとは内容を差別化しアルバム単位でロックを流しだした。当時、ラジオはFM大阪ばかり聴いていた(今はFM局は多くなったがみんな同じようであの頃のような興奮はない)。 |
2003年7月4日 |
今日の1枚は「グローリー・オブ・ラブ/ハービー・マン」。新聞にハービー・マンの死亡記事が載った。この人には思い入れがある。ハービー・マンときたら30センチのターンテーブルとマルチチャンネル3ウエイスピーカーの最初に買ってもらったステレオを思い出す。何か聴こうとCD棚から6枚ほどを取り出した。A&M(CTI)が1枚(これが今日の1枚)、アトランティック5枚、比較的新しい92年録音も1枚出てきた。もっと以前の彼がジャズをやっていた頃のCDは1枚も持っていないかも知れない。高校生になってパイオニアのステレオを買ってもらって(それまでは電蓄と卓上ステレオ)そのステレオで聴き始めたのが以前から持っていたビートルズ、映画音楽、そしてこのバービー・マン。それ以降ロックやジャズに移っていけど今でも好きな一人。ジャズを聴く以前になぜこの人を知っていたか思い出せない。でもアトランティック盤をよく聴いた記憶がある。この人も日本のジャズファンには受けがよくない。早い時期からジャズを捨ててフュージョンやイージーリスニングに走ったと思われている。デュアン・オールマンとやったり、イギリスでクラプトンの「レイラ」を録音したりもしている。何度も書いているが日本人はジャンル分けが好きでハービー・マンのようにクロスオーバーする人を嫌う傾向がある。でも私はこの人のスピード感のあるフルートや彼なりのジャズロックは好きだ。このアルバムに入っている「朝日の当たる家」を今聴きながらこの日記を書いている。 |
2003年7月13日 |
今日の1枚は「コンプリート・ブラックホーク/マイルス・デイビス」。61年録音のマイルスのライブ音源。もともとLP2枚だったものが今年、2日間4セット分のライブ録音をCD4枚組みで発売された。テナーサックスのハンク・モブレーは公式録音ではコルトレーンの後釜でブルーノートにリーダーアルバムを多く残している。マイルスのアルバムは彼が全体をコントロールしていてメンバーの緊張感がひしひしと分かるところが面白い。このアルバムには思い出がある。大学卒業後の就職は社会勉強のつもりで呉服問屋に決まり年が明けて卒業試験、入試アルバイト、3週間のヨーロッパへの卒業旅行と入社までの予定は一杯だった。そこへ新年明けの問屋の初売りに1週間アルバイトに来るように言われた。「いらっしゃいませ」や「ありがとうございます」を大きな声で言えなかったことを今でも覚えている。アルバイト最終日にもらったバイト料がいくらかは忘れたが帰りに大丸デパートのバーゲンでこのLPの輸入盤を買った。あの頃は百貨店でも輸入盤のバーゲンをやっていた。このジャケット写真を見ると大学4回生の最後のあの3ヶ月の忙しくて、楽しかった思い出がよみがえる。ヨーロッパから帰るとすぐに友人たちは新入社員研修へと全国へ散っていった。 |
2003年7月16日 |
今日の1枚は「キャノンボール・アダレイ・クインテット・イン・シカゴ」。59年録音。内容もいいがジャケットのイラストもいかにもジャズでかっこいい。「このイラストの人がキャノンボール・アダレーです」で通じる。マイルス抜きの六重奏団ということはキャノンボール(AS)、コルトレーン(TS)、ウィントン・ケリー(P),ポール・チェンバース(B),ジミー・コブ(D)の5人編成。キャノンボールのアルバムは「サムシン・エルス」に次いで二度目の登場だがサムシン・エルスは実質的にマイルスがリーダーだと思っている。「ブラック・ホーク」にも書いたようにマイルスバンドのアルバムはマイルスのコントロールの中でメンバーが緊張して良い音を出している。その緊張感を聴くのも楽しみの一つ。ところがこのアルバムはマイルス抜きで録音されたためかメンバー全員のびのびプレーしている。1曲目からキャノンボールとコルトレーンのテーマから掛け合いまでのフレーズは口ずさめるほど聴いた。初めて聴いたのは30年前の廉価盤ブームの時、何回も聞いたのでジャケットの印刷が擦れて禿げてくるほどだった。後年もう1枚同じLPを買った。CD時代になってジャケット違いを見つけてそれも買う。 |
2003年7月25日 |
今日の1枚は「頭脳警察T」。このアルバムは72年録音。当時の高校生にはジャケット写真も内容も衝撃的だった。ジャケットは三億円事件のモンタージュ写真、内容は赤軍派のアジ演説をロックをバックにまくしたてる。大手レコード会社は発売中止に(自費出版したらしいが私は見たことがなかった。昨年CD屋でこのジャケット写真のCDを見つけ購入)、結果としてどんな演奏をするのか分からないが頭脳警察というグループ名だけは当時知れ渡るようになった。70年初め頃ウッドストックの影響かオールナイトのコンサートが流行った。高校大学時代、琵琶湖バレーやレイクビワのオールナイトの野外コンサートによく行った。そこで頭脳警察を初めてを見た。彼らが現れるとまだ赤軍派がリンチ殺人や人質事件を起こす前で聴衆も発禁のことを知っていて大学紛争や体制への僅かな抵抗もあったのだろうか他のグループより大きな歓声が上ったのを覚えている。CDの内容は日本語ロック、70年初めまでの学生革命活動家が喜びそうな歌詞。ジローズの「戦争を知らない子供たち」の替え歌で「戦争しか知らない子供たち」が入っていた。これを聴いて当時三里塚闘争に参加してぼろぼろになって帰ってきた同級生を思い出した。もうひとつ通学途中の同志社大学の正門横に「赤軍万歳」のたて看板があったのを思い出した。同志社は赤軍派の拠点だったのだろうか。 |
2003年8月3日 |
今日の1枚は「未完成/シューベルツ」。フォークル解散後のはしだのりひこが結成した同志社、立命館の学生によるカレッジフォークグループ。「風」があまりに有名だけれど私は「夕日よおやすみ」や「何もいわずに」も好き。この二曲は杉田二郎の作曲。私たち世代の立命館高校出身の芸能人(音楽関係)はGSのタイガースの森本太郎、このフォークの杉田二郎、「イチゴ白書をもう一度」のばんばひろふみが有名(ばんばは立命館中学高等学校の創立90周年記念の生徒愛唱歌の作曲もしている。私はばんばが高校時代に文化祭の前夜祭で行ったバンドのライブを見たような記憶がある)。杉田はジローズの「戦争を知らない子供たち」が有名だけれどそれはこのシューベルツ解散後のこと。そして「戦争を」を含めたこれらの多くの曲の作詞が北山修だったこと。あの頃の関西のカレッジフォークに北山の詩が多いのは「フォークル世代」だったことの証だろう。その北山は今や精神科の先生になっている。7月からの続きになるがあの頃はベトナム戦争や大学紛争がありそして高校生だった私たち「フォークル世代」は単なる反戦歌だけではないこれらの歌を口ずさんでいた。昨年フォークルが一時期再結成され話題になったが私はもうあの時代は終わったと新しいフォークルのアルバムは買わなかった。 |
2003年8月9日 |
今日の1枚は「ミュージック・フロム・マクベス/サード・イヤー・バンド」。71年録音のロマン・ポランスキー監督の映画「マクベス」のサウンドトラック盤。サード・イヤー・バンドは当時からイギリスの古典伝統音楽やエスニック音楽を混合したような音楽をやるバンドで発売レーベルが「ハーヴェスト」というプログレシッブ・ロックを多く出しているレーベルだったので当時からよく知っていた。しかし映画に関しては最近、衛星放送で初めて見た。映画はシェークスピア原作、画面の暗さと中世イギリスの暗い雰囲気をこのバンドの音楽はうまく出していると思う。サード・イヤー・バンドがどうしてロックにジャンル分けされて売られているのか分かれないぐらいロック的ではない。日本でも、もっと古典や雅楽的な音楽をやるバンドがいてもいいように思う。このバンドを覚えているのはバンド名のユニークさからで「第三の耳」、他にもイギリスのバンドには「ピンク・フロイド」「ジェスロ・タル」「ソフトマシーン」「イフ」など面白いバンド名が多い。映画に関してはポランスキーといえば彼の妻が惨殺された「シャロンテート事件」。彼が監督をし、シャロンテート(きれいな女優さんだった)が主演した「吸血鬼」は当時見ている。そしてこのマクベスが事件後の最初の監督作品になる。そのことを知っているので余計に暗い雰囲気に思ってしまうのか。最後にこのオリジナルのアルバムジャケットはこの映画や音楽の雰囲気を出していて好きなのだが、私の買ったCDは権利関係の為か変なイラストに変わっていた。 |
2003年8月13日 |
今日の1枚は「ウェザー・リポート」。71年録音のこのバンドのファーストアルバム。マイルスバンド出身のジョー・ザビヌル(key)とウェイン・ショーター(sax)の二人がリーダーのマイルスから派生したジャズバンド(と私は思っている)。以後20年近く活動するが固定メンバーはこの二人だけ。よく解散説が流れたが20年も続いたと思う。ザビヌルのフュージョンとショーターのジャズのぶつかりが面白かったが徐々にザビヌルのバンドに変わっていった。なぜこのアルバムを取り上げたかというとバンド名が「天気予報」だから。仕事中にラジオで今度の台風情報を聞いていてFM放送などで天気予報をウェザーリポートなどと呼ぶようになったのはこのバンドの出現が影響していると思ったから。ジャケット写真も面白い。濃紺地にガラスの割れた所の拡大写真か結晶の顕微鏡写真。何度も書くが30年以上前、ロック、ブリティッシュジャズロックから電化マイルスでジャズの泥沼に入っていった私にとってはマイルス出身のこのウェザー・リポート、ハービー・ハンコックのセクスタント、チック・コリアのリターン・トゥ・フォエバー、ジョン・マクラグリンのマハヴィシュヌ・オーケストラは当時よく聴いた。そして日本とアメリカとのジャズに対する温度差を感じるようになった。今の日本のジャズ評論などもそうだと私は思っている。そのことはいずれどこかで。 |
2003年8月27日 |
今日の1枚は71年発売の「カフーツ/ザ・バンド」。30年以上前輸入盤のバーゲンでジャケットのイラストが面白くて買った。キリストの最後の晩餐のパロディーの様なイラストだった。バンドはボブ・ディランのバックバンド出身。このアルバムの「ライフ・イズ・ア・カーニバル」が気に入りよく聴いたものだった。LPを全部売ってしまってからCDが再発されたので懐かしく思いこのCDを買った。そう言えばバンドのアルバムは何枚か持っているが親分のボブ・ディランのアルバムはLP,CDを含めて1枚も持っていない。唯一持っているのはジョージ・ハリスンの「バングラディッシュ・コンサート」の中でLPの片面全部をボブ・ディランが歌っているものぐらい。このコンサートの映画も大学生の時に観た。ボブ・ディランが映画の画面に登場すると客席から拍手が起こった。それほど彼は日本の若者にとってもカリスマ的存在だったのだろう。そこが私には気に入らなかったのか。今日はボブ・ディランでもバンドの話でもなく「ライフ・イズ・カーニバル」に引っ掛けて祇園祭の話をしたかった。祇園祭はもう終わってしまったから来年の7月に書けばいいと思ったが来年までこのページを続けている自信が無いので思い付いた時に書いてしまおう。大学卒業後、祇園祭の鉾町にある呉服問屋で2年間働いた。7月になると新入社員が鉾の組み立てや鉾番に借り出された。中学高校と7月16日前後が期末試験の最終日で宵山には試験の開放感から友人たちと出掛けたものだったがこの2年間は祭りを内側から見ると言うか祭りに参加できたと言うか貴重な体験をした。鉾自体の組み立ては各鉾町の宮大工が行うので手伝えないが飾りつけなどは手伝ったおかげでアマチュアカメラマンの格好の被写体にされた。鉾が完成すると国会議員までも現れ関係者全員で乾杯をしたこともあった。鉾が完成すると巡行の数日前に曳き初めといって子供たちと一緒に鉾をためし引きする行事がある。子供たちの目的は鉾を曳けることより帰りに貰えるお菓子やおもちゃの入った袋。何基もの鉾をはしごしていくつもの袋を抱えた子供たちがいた。そんな袋を渡す係りも私たちだった。今は鉾の曳き手はボランティアが中心らしいが30年近く前は大学の運動クラブの良いアルバイトだった。社長が鉾町の役員だったこともあって彼らの世話をしたことがあった。体格のいい学生が巡行から帰ってくるのを冷たいお茶の大きなやかんを持って待っていると倒れこむようにしてお茶を飲んでいたのを思い出す。彼らにとってもきついバイトだったのだろう。そして私たちの最後の仕事が飾り物の取り込みだった。例年梅雨明け前後が祇園祭の巡行の日。巡行の終わりと雨の降り出しとが重なり、国宝級の前掛などを大急ぎでしまい込んだのも今となっては良い思い出になっている。 |
2003年9月1日 |
今日の1枚は「バングラディシュ・コンサート/ジョージ・ハリスン」。71年ライブ録音。前回からの続きでこれを取り上げる。何度も言うが私はビートルズの中でジョージ・ハリスンが一番好きなのでビートルズ解散からジャズに走るまで間、アップル時代の彼のソロアルバムは集めていた。72年に母がハワイ旅行に行ったときにこのアルバムを買ってきてもらった。米国盤はキャピトル盤だったが少し遅れて発売された国内盤は東芝ではなくてCBS・ソニーからだった。LP3枚組でオレンジ色のボックスに入っていたが今もっているCDは2枚組みで白地のカバー写真になっている。このコンサートはチャリティコンサートのはしりでジョージのシタールの先生だったラビ・シャンカールから頼まれたものだった。バングラディシュは昔の呼び名の東パキスタンのことで第2次大戦後イギリス領インドが独立する時にヒンズー教地区がインドに、イスラム教地区がパキスタンになって独立した。特にパキスタンは東西に隔たったまま独立したが政治や経済は西側に集中し貧富の格差が大きかった。そして東パキスタンは大虐殺や低地であるために起こった大水害が続き、難民のインドへの流入が問題になったこともある。パキスタンから分離独立してからも飢餓状態は続いた(そう私は勝手に理解している。間違ってたらごめんなさい)。そこでベンガル出身のラビ・シャンカールはジョージに助けを求めた。ジョージはこのコンサートやこのアルバムやコンサートの映画の収益をバングラディシュに贈ることを決めた。でも後でマネージャーが金銭トラブルを起こしたと報道された。当時「愛や平和」をテーマにしたグループは沢山あったがそれを実践したのはジョージ・ハリスンが初めてだったと思う。当時このアルバムを買ったり映画を見ることで少しはこのチャリティに私も参加できたと思ったものだった。内容はLP3枚の内ラビ・シャンカールのシタール演奏とボブ・ディランがLP片面づつ、残りは参加メンバーの数曲以外はすべてジョージ・ハリスン。このことがあって以来益々ジョージが好きになった。でも2001年11月29日亡くなってしまった。 |
2003年9月6日 |
今日の1枚は「リー・モーガン/ライブ・アット・ザ・ライトハウス」。70年のライブ録音。昔はLP、今ではCD収集の時、「ほしいものを見つけた時は躊躇せず手に入れる」が鉄則。このCDは躊躇して買わなかったから20年以上聴けなかったアルバムである。リー・モーガンは72年に出演していたクラブの休憩中に14歳年上の恋人(殺された頃は妻と報道された)に射殺された悲劇のジャズトランペッターだった。彼のアルバムも集めていたが初期の頃の録音盤は人気があったので国内盤も入手し易かったがジャズロックといわれた後期の作品は人気が無かったのか余り出回らなかった。30年前、東京の中古盤屋が京都で出張販売をした。そこにこのLPが4,5千円で並んでいた。以前オリジナル盤で失敗しているので高い中古盤は買わないと決めていたので手にとって見るだけと決めた。2枚組みのLPジャケットはずっしりと重かったのを今でも感覚をして覚えている。ブルーノートレーベルはその頃から東芝、キングそしてまた東芝へと国内盤の販売会社を変えていったが再発が多くなってきたのでいずれこのアルバムもそう遠くない将来に国内盤で出ると思っていた。しかし人気が無いのか権利関係からかLP時代には販売されず、CD時代になってもアメリカ盤さえ見たことが無かった。ところが忘れかけていた96年に2時間以上の収録のCD3枚組がアメリカで発売されることになった。東芝からの国内盤を待とうと思ったら東芝はCD1枚で売るという。当然アメリカの3枚組を買う。日本はジャズ天国だと言われるがなぜこういうジャズは人気が無いのか不思議に思う。 追記 福田一郎さんが亡くなったと新聞記事があった。若い人は知らないだろうが彼はポピュラー音楽評論家。中学生の頃から名前も知っていたし雑誌で彼の記事を読んだものだった。ご冥福を祈ります。 |
2003年9月13日 |
今日の1枚は「男の世界/ジェリー・ウォレス」。70年発売のシングルレコード。ジェリー・ウォレスはカントリーシンガー。30年振りにレコードプレーヤーに乗せた。レコードの色は当時の東芝が作っていた赤色のレコード盤。ベンチャーズやビートルズも赤いレコードで持っていた。シングル盤は4,50枚持っていたが親戚にやってしまって今は10枚ほどが手元のあるだけ。このレコードもたまたま残っていた。なぜこの「男の世界」を取り上げたかと言うと先日チャールズ・ブロンソンが亡くなったからで当時彼を使った化粧品のTVコマーシャルでこの曲が使われ大ヒットしたし、そのことで多くの人が彼を認識出来るようになったと思う。少なくとも私はそう。コマーシャルも大ヒットし化粧品会社の社名も「マンダム」と変えてしまうほどだった。彼を映画で始めて見たのはアラン・ドロンとの共演映画よりスティーブ・マックイーンの「大脱走」でこれも当時映画館で見た。「大脱走」には「0011・ナポレオン・ソロ」のデイビット・マッカラムも出ていた。マッカラムの別れた奥さんのジル・アイアランドとブロンソンは再婚したと思う。以後彼の映画にはいつも奥さんも出ていた。 |
2003年9月20日 |
今日の1枚は「ザ・ランニング・マン/レイ・ラッセル」。昨日、タワーレコードで買ってきたCD。72年録音の英国ネオンレーベルのブリティッシュ・ジャズロックの再発盤。レイ・ラッセルのCDはフリージャズがあったりして私には当たり外れがあるが前回紹介したニュークリアスの未発表音源でのラッセルは当たった。タワーには月に1度ぐらい行ってポップとジャズを一通り見て面白そうなCDを買ってくる。半年ぐらい前からこの紙ジャケのCDが気になっていた。でも内容が分からない。ジャケット写真だと3人のメンツによるトリオ編成。行くたびに手にとって見るが買う気にはならなかった。欲しくてたまらないのもでもなしジャケット写真がかっこいいものでもないし。最近気になってこのアルバムのことを雑誌などで調べたら私が一番欲しい頃のジャズロックだと分かった。しかも管楽器が2人も入っている。一人はトランペットのハリー・バケットで、彼は英国のジャズやジャズロックのアルバムによく名前が出てくる。これは買って正解だった。(収録曲の中にジョン・レノンの「マザー」のパロディのような「チルドレン」というのがあった)他に買うかどうしようか迷っているのが2枚ある。1枚はBBキングのボックス。これは単に価格が高いだけ。もう1枚はジャンゴ・ラインハルトの3枚組。どうしても欲しいと言うものでのないので誰かが買って売り場から消えればそれで諦めが付くのだが、何時行ってもあるので私に買われるのを待っているように思えてならない。 |
2003年10月4日 |
今日の1枚は「0011ナポレオン・ソロ」。CD屋さんのサントラ盤コーナーで購入。輸入盤なのでテレビ用なのか映画用のサントラなのか内容はよく分からない。でも1曲目のテーマ曲はとても懐かしかった。他の曲はなぜかジャズっぽい。「ナポレオン・ソロ」は私が小学校5,6年から中学生の頃に流行ったアメリカ製のスパイテレビ映画で劇場用の映画も何本か作られ見た覚えもある。ナポレオン・ソロはロバート・ボーンという俳優やっていた。彼はスティーブ・マックイーンの「ブリット」で悪役の上院議員を演じたがナポレオン・ソロの日本の声優さんの声に比べて甲高い声なのでがっかりした記憶がある。ソロの相棒のイリア・クリアキンを演じたのがデビッド・マッカラムで先日書いたように彼もマックイーンの「大脱走」に出ていた。私はデビッド・マッカラムのファンだった。007はさいとうたかおの劇画で読んでいたが映画で見たのはトヨタ2000GTが出てくる「二度死ぬ」が最初だった。だからスパイ映画といえばやはり何年のテレビで見たナポレオン・ソロがすぐ思い浮かぶ。中学生の頃今もある新京極の入り口のモデルガン屋さんで重くてリアルな金属製のモデルガンを買った。中学生が買うには親の承諾書が必要だった。ジェームス・ボンドのワルサーPPKとワルサーP−38のアンクルタイプ。アンクルタイプと言うのがナポレオン・ソロで使われた銃身が短く先にかごのような物が付いた拳銃だった。でもモデルガンに対する興味は改造拳銃の新聞記事やベトナム戦争のニュース映像などで消えていき代わってレコードや車へと移っていった。その頃のテレビのスパイ映画といえば「スパイ大作戦」があったがなぜかそちらは記憶にない。それよりも題名は忘れたがコメディーのスパイ物があったのを覚えている。 |
2003年10月13日 |
今日の1枚は「モザイク/グラハム・コリアー・ミュージック」。70年ライブ録音。グラハム・コリアーはイギリスのジャズベーシスト。70年代の高校時代に大阪LPコーナーでイギリス盤LPを買った。ジャケットのイラストが面白い。アンプと接続ケーブルが赤地に描かれている。ジャケット買いの1枚。それにメンツのハリー・ベケット(tp)やジェフ・キャッスル(p)がジャズロックのニュークリアスに参加していたのでこのアルバムもジャズロックだろうと思い買ったが内容はジャズに近く当時はがっかりしたがジャズを聞くようになってからはこのジャケットを見ながら何度も聴いた。数年前にLPレコードを全部東京の業者に処分した時このレコードやその他のイギリス盤のジャズロックレコードが高額査定されたことを思い出す。このレコードが7,8千円だったかな。でもそんなのは稀で大部分の国内盤のジャズレコードは1枚数百円まで、歌謡曲や映画音楽などはなんと十円単位だった。(レコードの買取査定では面白いことがあったのでまた別の機会に取り上げる)今回このCDをディスクユニオンのネット通販で見つけ注文した。CDのネット通販はよく利用するが最近ディスクユニオンが大阪出張販売をするようになりネット販売少しご無沙汰していた。でも出張販売では欲しいものは限られる。ここ数ヶ月毎月1度大阪梅田へこの出張販売へ行く。高校大学の時は月に1、2度は必ず行っていたのに今行ってみて見覚えのあったビルや映画館が無くなっていたのには驚いた。 |
2003年10月18日 |
今日の1枚は「シングス・ウィ・ライク/ジャック・ブルース」。68年録音のジャズロックアルバム。彼には悪いがジャック・ブルースといえばクリームのベーシストの印象が強い。現にこのCDの英文の解説書にはクリーム時代の写真が載っている。メンツはヘクストール・スミス(sax)、ジョン・マクラグリン(g)、ジョン・ハインズマン(d)。一番の注目はジョン・マクラグリン。彼はアメリカに渡ってライフタイム、マイルスバンドからマハヴィシュヌ・オーケストラを結成。ロックからジャズを聞き出した私にはジョン・マクラグリンは違和感なくすんなり聴けた。解説書にはマクラグリンがイギリスから渡米する費用が無かった時にブルースがこのアルバムの録音に参加させて渡航費を稼がせたと書いてあった。30年以上経って初めて知った。今月は金欠状態。ネット通販で5枚、オールマンのフィルモア完全盤、マイルスのジャック・ジョンソン5枚組み。それでジャック・ブルースはこの1枚だけと決めていたがレコード会社も私のようにジャズロックファンがいるのを知っているかのようにCDの帯に手を出さざるおえないような言葉が並し雑誌のCD評に「ジャズロック」の文字があればCD屋に確かめに行きエイと買ってしまう。家に帰って聴いてがっかりするものも少なくないが止められない。今回ジャック・ブルースはこれ1枚と決めていたがCD屋で同時に発売された彼の他のアルバムの帯にジョン・マーシャル、クリス・スペディングとある。録音時期は69,71年。これは私の最も好きなニュークリアスのメンツであり、録音時期も同時期のもの。1枚買うつもりが3枚買ってしまった。ついでにマイルスのジャック・ジョンソン5枚組みにはこのアルバムのおかげで渡米したマグラグリンが大きくフューチャーされている。 |
2003年10月25日 |
今日の1枚は「コンプリート・ジャック・ジョンソン・セッションズ/マイルス・デイビス」。70年録音。これも今月入手したもので前回の続きになるかもしれない。ロックが全盛期になってきた頃「俺だった最高のロックバンドぐらい作れる」と言ったマイルスの音楽は変わっていくその最中の音が採られている。私はこの頃のマイルスからジャズを聴きだしているから違和感はなかったが70年ごろのジャズ評論家たちは「マイルスはジャズじゃない」と言い切った。でも私にとってはこれがジャズだった。前回の続きだけれど渡米したジョン・マクラグリンはこの頃マイルスバンドのギタリストになっていた。このセッションはロックバンド編成でこれ以降のリズム楽器の洪水の中にマイルスのトランペットがパルスのように突き刺さるようなことはまだ少ない。ギターもマクラグリン一人でトランペットとギターとの掛け合いが聴き所。このLP1枚のアルバムのためにCD5枚分の録音が取られていた。このことは当時から知られていたがマイルスは完成品にならないものは商品化しないだろうと誰もが思っていた。電化マイルスになってからはこうしたセッションで長時間録音したものをプロデューサーのテオ・マセロが編集して1枚のアルバムを作り上げていた。この5枚のCDは編集前の音と編集後の「ジャック・ジョンソン」。マイルスの死後、編集前の録音が次々と商品化されている。マイルスが生きていれば絶対に商品化は許さなかっただろう。彼は完全主義者だったから。でも私たちにとっては過程が聴けて楽しみではあるが。最後にこのジャック・ジョンソンとは実在のアメリカのボクシングの最初の黒人の世界ベビー級チャンピオンことでこのアルバムはジャック・ジョンソンのドキュメンタリー映画のサントラ盤。LP時代ジャケットの表のイラストはジャック・ジョンソンが女性たちと車に乗っているイラストだったがCDになって裏表が逆になってマイルスの写真が表になった。このコンプリート盤もマイルスの写真だけでジャック・ジョンソン写真やイラストはどこにもない。この映画は70年代当時日本で公開されたか分からないが、数年前衛星放送で見た。ボクシングシーンなどに効果的に使われていた。彼は白人選手から試合を拒否されたり、強い上に妻や愛人が白人だったことも差別や迫害を受ける原因だったのだろう。黒人であるマイルスがこのサントラを作ったのもそのことがあるのだろう。 |
2003年11月2日 |
今日の1枚は「ザ・タイガース・シングル・コレクション」。もちろんGSのタイガースの全シングル盤のAB面全曲収録のCD2枚組み。本当なら阪神タイガースの優勝記念に「六甲おろし」のCDでもと考えたがそういうのは持ってないので語呂合わせでGSの方にした。ザ・タイガースは京都出身で特にサイドギターの森本太郎はわが母校の立命館高校出身でもあり親しみのある存在だった(彼を教えた先生が授業中に「森本は東京なんかに行きよった,バカモンが!」と怒鳴ったのを今も覚えている)。解説には彼らは4年間(レコードデビュウから解散まで)活動したとあるが(それ以前ファニーズとして活動していたが)、私が覚えているのは1枚目のCDの67年から68年までの曲でそれ以後の曲は知らないものが多い。なぜなら69年以降GSブームは衰退していったからだろう。私もGSを聴かなくなった。解散後は皆さんご存知のようにジュリーが「ピッグ」から独立してソロ歌手になっていく。他のメンバーは早くに脱退して高校教師なったり映画俳優やタレントになったりしている。森本太郎に関しては最近ネットを見ていてグループで活動している写真が載っていたがそれが本人か確認していない。話は変わるが今日の本題はやっぱり阪神タイガース。私はタイガースファン。特に18年前の日本一の監督の吉田義男さんは京都府立山城高校からわが母校の立命館大学を経て阪神一筋。だから私が阪神タイガースのファンでないはずがない。今年のタイガース、前半はぶっ千切りだったが終盤と日本シリーズは去年までのタイガースを見ているようだと思ったのは私だけだったろうか。岡田監督にはしんどいだろうが来年は頑張ってもらわなくては。星野さんも球団に残ってくれたし。ついでに大学野球について。学生時代に見た選手で記憶にあるのはプロに行った同志社の田尾。同立戦でのホームランはすごかった。阪神に欲しかった。立命出身ではオリックスから大リーガーになった長谷川。彼最後の同立戦で打たれて優勝を逃したのを私は球場で見ている。彼も阪神に欲しかった。ヤクルトの古田はなぜか記憶にない。彼は村山が欲しいと言ったのにフロントがメガネを理由に拒否したことは有名。 |
2003年11月9日 |
今日の1枚は「エレガンスなジャズで酔わせて/それぞれの枯葉」。このアルバムは日本のアルファレコードが企画発売したジャズアルバムから「枯葉」だけを10曲1枚のCDにしたもの。CD1枚が全部同じ曲というのも珍しいので買ってしまった。でもこのジャケットのイラストは最悪。録音は殆どが80年代後半から90年初めのもの。有名なジャズプレーヤーがいろいろなアレンジで枯葉を聴かせてくれる。枯葉はもともとシャンソンだがジャズのスタンダードナンバーにもなっている。私はジャズアルバムを集める時に「枯葉買い」と「ビートルズ買い」と「ジャケット買い」をする。枯葉やビートルズの曲の入ったものをつい買ってしまう(つい先日も全曲ビートルズのビッグバンドジャズを購入)。若い頃はカセットに枯葉ばかりを編集録音して聴いたこともあったが今は面倒くさくなった。それでも枯葉の入ったCDは100枚ぐらい持っているのではないか。このCDを選んだのはそろそろ紅葉の季節だから。11月になった先日の土曜日、嵐山の手前の松尾神社まで散歩に行った (神社は七五三参りの家族連れで混雑していた。子供はやはり和服が圧倒的。友禅屋としては感謝。でも親は洋装ばかりでがっかり)。まだ紅葉には少し早いがそれでも嵐山への道路は他府県ナンバーの車が並んでいた。これからの土日は京都の人間は嵐山方面へ車では行かない。渋滞、渋滞。嵐山に行くなら阪急か京福が楽。私は毎週土日に鞍馬の手前の市原へアーチェリーをしに行くがここも紅葉はすばらしい。鞍馬への道も時間を間違えると車が並び始める。この時期、私は昼で引き上げることにしている。紅葉が終わると今度は落ち葉の中を歩き回るのもまた趣がある。1日だけの観光客にはちょっと真似することは出来ないが。今日は1日雨なので市原には行けない。選挙に行って昼からはこの枯葉を聴きながら窓から見えるまだ色づいていない西山を見ている。この雨が過ぎると気温も下がり紅葉も本格的になるらしい。 |
2003年11月16日 |
今日の1枚は「レット・イット・ビー、ネイキッド/ザ・ビートルズ」。東芝盤を買う。この頃流行のコピーガード盤。買う前に読めと書いてあるので読むとコピーガード盤が嫌なら買うなと読める内容。おまけに鳴らない再生機でもCDの補償はしないと取れる(音も通常盤より落ちるらしい)。でも国内盤がこれだけなら買わなしゃーない。ビートルズ特集の雑誌を読むと内容は良い良いと書いてある(コピーガードには文句を付けてるが)。私もビートルズとCDに書いてあればすぐ何でも買ってしまう。ビートルズコレクターの悲しい性か。買って帰ってすぐに聴いたが音は良いかもしれないけれどどの曲もすでにアンソロジーで聴いたものばかり。ジャケットもおもしろくない。レット・イット・ビーのジャケットのメンバー写真をネガポジ反転させただけじゃ芸がない。評論家たちが騒ぐほどのことはないように思える。レット・イット・ビーは彼らの最後のアルバム(でも録音は69年でアビーロードより前に行われている。ポールが嫌がっているように音も加工されている)だが、このアルバムは加工したり後からオーケストラをダブらせたりしていない。デジタル処理はあるだろうが音は彼らの生音だけ。でも長い間親しんだ先のアルバムとネイキッドとの違和感は私にはない。最初はビートルズがばらばらになりかけた時に自作映画のサントラ的な「ゲット・バック」というアルバムとして出るはずだった(この話は皆さんも知っていると思うからしません)。このネイキッドは彼らが本当に作りたかった音かどうかは私には分からない。それは彼ら4人のうちすでに2人いないから。こういうアルバムは4人とも生きている時に出してもらいたかった。ファンとしてそう思う。一時期ビートルズやクラプトンの海賊盤に走ったことがあった。昔は海賊盤といえば音が悪いと思われていたが最近では未発表のライブやスタジオレコーディングがかなり良い音で出回っている。でもアンソロジーが出たことで面白みがなくなったのと海賊盤であるために演奏者たちにはCDの利益が還元されないことへの罪悪感からそういうCDを買うのを止めてしまった。でも今も持っている海賊盤のなかに「ゲット・バック」の流出音源があるので聴き比べてみたが曲目も従来のレットイットビーのほうに近いように思う。今日、タワーへ行ってきた。このキャンペーンでビートルズがかかっていた。17日にはネイキッドの輸入盤が出るとのこと。おまけに輸入盤はコピーガード盤ではないと書いてある。ちくしょう、来週はネイキッドな輸入盤を買いに行こう。音の違いを確かめるために。 もう少しコピーガード盤のことを言わせてもらうと音楽を消耗品のようにしているのは若い人たちすなわち消費者の側だとレコード会社は言うが消費のサイクルを作り上げ新しいいCDを次々と作り出し1年も経てば古い音楽だと言わんばかりの企業の経営方針は間違っていないのか。私のようなコレクターは音だけでは満足しないジャケットの隅々まで見てそしてそのCDを所有しなければ満足しない。企業はガードをかける事で音楽家の権利を守ると言うけれどガードのソフトが完全でないことはコピーガード盤の免責を見ても明らかでそれを消費者におっ被せている。アメリカなど消費者運動の盛んな国ではコピーガードのCDを作れないのは不完全な音楽CD(先にも言ったようにある再生機では再生できない可能性がある)を売れば裁判にかけられ下手をすると多額の賠償金を出さなければならなくなるからだ。日本の消費者は完全になめられている。 |
2003年11月22日 |
今日の1枚は「イエローサブマリン/ザ・ビートルズ」。前回に引き続きビートルズ。69年発売のビートルズのアニメ映画のサントラ盤。実はこのCDだけ持っていなかった。LPでは今も全アルバムを持っているのに。当時(30年以上前)カセットデッキを買った時だったのでこのアルバムだけミュージックカセットで持っていたがどこかへいってしまったのと、半分がジョージ・マーティンによる映画用のオーケストラ演奏なのでなくてもいいと思っていた。ジョージ・マーティンはビートルズのプロデューサーで「5人目のビートルズ」と言われた人物。彼自身もビートルズのカバーアルバムを2枚作っている(2枚とも持っているが見つからない)。最近このジョージ・マーティンのオーケストラを削り映画に使ったビートルズの演奏だけをリミックスした「ソングトラックス」が出た。このサントラの方のCDは娘から貰った物。イギリス土産。カーステレオにCDが付き出した頃、毎日ビートルズをかけていた。小さかった子供たちは耳たこ状態。親父がビートルズファンであることは子供たちは小さいの頃から知っていた。娘が高校生の時ハンドベルの世界大会に参加するため夏休みにイギリスに行った時の土産がビートルズのCD3枚(そのうちの1枚が持っていなかったこのアルバム。買ってきてくれと頼んだわけでもないのに面白い話だ)とビートルズの写真集。日本でも売っているのになぜCDを買ったのか聞くとロンドンのCDショップでビートルズのCDよりどり3枚で安売りしていたから。親父の土産はこれで良いと。最後に昨日、ネイキッドの輸入盤購入。生産国が分からない。「made in EU」とある。雑誌には英米盤はガード無し、日本、欧州、東南アジア、豪州盤はガード有りとあるので店員にコピーガードが無いことを確認してから購入。パソコンで聴いてみた。ガードの無い輸入盤はパソコンから何で再生するか聞いてきたが、コピーガードの東芝盤はCDの付属らしい再生ソフトが自動的に立ち上がった。気づいた事があればまた今度。 |
2003年12月01日 |
今日の1枚は「ザ・ビクター・セッションズ・マスターテイクス1932−43/シドニー・ベシェ」。CD3枚組みのアメリカ盤で国内盤はこの形では出ていないと思う。ジャズが流行っている日本でもこんなクラシックなジャズは殆ど需要がないのだろう。CDショップのジャズの棚を見ても2,30年代の古い録音は見当たらない。タイトルどおり32年から43年の録音。シドニー・ベシェはニューオリンズ・ジャズのソプラノサックス奏者。70年代に電化マイルスでジャズを聴き始めた私にとっては当時最新のジャズを聴いていたことになる。面白いことにジャズに浸るにしたがってジャズの歴史をさかのぼるように古い録音を聴いていった。普通は歴史順に古いスタイルから新しいものへと逆の聴き方をするのだろうが。ハードバップを長らく聴いて、ついにはジャズ発祥のニューオリンズ・ジャズまで辿り着いた。シドニー・ベシェのソプラノサックスと同じソプラノを吹くジョン・コルトレーンがベシェから影響を受けたと何かで読んだので古い録音のLPを聴き始めた。一時は彼や、ジョージ・ルイス、初期のルイ・アームストロングに凝った。20年ほど前、六本木のレコード店でベシェのLPばかり10枚買ってきたこともあった。LPを処分する時、これらのクラシックジャズのレコードは安くたたかれた。やはり需要がないのだろう。ベシェについて話すと50年初めにアメリカからフランスに永住してしまう。アメリカにおける黒人差別が根底にあり、ヨーロッパでは黒人でも人種に関係なく音楽家として尊敬された。それとニューオリンズ・ジャズから変化せず古いスタイルがアメリカでは嫌われ出したことも永住の一因かもしれない。その後、何人もの黒人ジャズプレーヤーがヨーロッパへ移住する。フランスやデンマークでジャズが根付くのはこの事が深く関係していると思う。私が見たジャズプレーヤーの来日公演は二種類あった。ひとつは適当にプレーして出演料をガッポリもって帰るタイプ。そしてもうひとつは彼らを理解している日本のファンの前ですばらしいプレーを見せてくれるタイプ。ベシェを思うときフランスの聴衆は彼を理解し尊敬もしたのだろう。 前回のビートルズのコピーガードの続き、ヨーロッパ盤はパソコンのCD-RでCD2枚をCD-R1枚にコピーすることが出来た。 |
2003年12月6日 |
今日の1枚は「ライブ・アット・アトランタ・ポップ・フェスティバル 1970/オールマン・ブラザーズ・バンド」。69年結成のアメリカのロックバンドでリーダーのデュアン・オールマンは71年死亡。彼がお目当て。70年録音の未発表ライブ音源。当時、ビートルズのホワイトアルバムでクラプトンの存在を知り、そしてそのクラプトンの「レイラ」で今度はこのデュアン・オールマンの存在を知った。弟のグレッグやもう一人のギタリストには悪いが私はデュアン・オールマンのギターにしか興味はない。彼らのロックを当時はブルース・ロックと呼んでいたと思う。それは白人によるブルース・ギタースタイルだったからだろうが今はアメリカ南部からという意味でサザンロックと言う分類をするらしい。デュアンは71年に交通事故で亡くなるので実質の録音活動は4,5年しかないが彼はバンドを経済的に維持するためにセッションギタリストとして多く他のプレーヤーの録音にも参加している(確かハービー・マンのジャズアルバムにも参加している)。「フィルモア・イースト・ライブ」のヒットでバンドが全国的になってきたときのデュアンの死である。私はオールマンのアルバムは「フィルモア・イースト・ライブ」(この1枚は最高のライブアルバムでデュアンのギターが堪能できる)までしか持っていない。それ以後のグレッグたちのオールマンは聞いたこともない。デュアン・オールマンはライブ音源を聴くのが最高だと信じていた私にとって、今年も年末になってきた頃このオールマンのライブ音源が3枚も発売された。すぐにCD屋さんへ走った。1枚は正規盤の「フィルモア・イースト」の6曲追加盤、1枚はフィルモアより3ヶ月前の未発表音源「アメリカンユニバーシティ12/13/70」、そしてやはり未発表でフィルモアより半年前のこの「アトランタ・ポップ・フェスティバル 1970」。特に最後のこのライブ盤にはやはり白人のブルースギタリストのジョニー・ウインターがジャムに参加している。そのギターのジャムが延々と30分近いからすごい。これらを聴いてこのバンドはやはりライブバンドだと思った。正規盤のカタログにはもう1枚アメリカ盤に初期のライブ盤があるらしいがいまだにCD屋で見たことはない。 |
2003年12月13日 |
今日の1枚は「ザ・ランプローラー/リー・モーガン」。トランペットがリーダーの65年録音の2管のジャズアルバム。このLPに出会ったのは大学生の時のジャズ喫茶。1年後輩のO君こと小田一成君と荒神口の「しあんくれーる」にて(今はこのジャズ喫茶はあるのだろうか?)。小田君とどうしてそこに行ったのか。もちろんジャズを聴きに。30年前のことなので記憶が曖昧。今は無い立命館大学の広小路学舎で我々のゼミ教授だった二場邦彦(現京都創成大学学長)先生の講演を聴きに行って、講演が始まるまでの時間潰しに大学の前の河原町通りの角にあったジャズ喫茶でジャズを聴いていた時か。それともやはり近所の府立文化芸術会館で故桂枝雀の弟子で今井音也(芸名桂音也、彼も故人で朝日放送のアナウンサーから落語家になった)の独演会を聴きに行っての時間待ちに「しあんくれーる」に入った時は思い出せない。ジャズ喫茶はどこでもそうだろうがレコードをかけている時そのジャケットを飾ってくれる。まずそのジャケットの文字のデザインがかっこ良かった。音も好みのラッパが入っていた。レコードが掛かっている間、飾ってあるジャケットを手にとって眺めることが出来た。私は手にとって「ブルーノートのリー・モーガン」と覚えた。タイトルは判らなくてもジャケットデザインが独特ですぐに覚えた。すると2曲目に童謡の「月の砂漠」がジャズになって聴こえてきた。これは買いだと決めた。すぐにレコード屋に走る。でも当時ブルーノート盤は国内盤が発売されてなく米国盤の再発盤しかなかった。当時再発輸入盤はレコードの反りや「チリチリ」ノイズが多いので余り好まなかったがそれしかないので買う(CDはどこ盤でも音はそう変わらないのでいい時代になった)。これは有名な話だがこのアルバムの「月の砂漠」の作曲がリー・モーガン自身になっていた。今持っている東芝盤のCDの解説には作曲「佐々木すぐる」となっているがジャケットには当時のまま「リー・モーガン」と書かれている。アメリカのレコード会社は日本人作曲家の著作権料を誰に払っていたのだろう。 |
2003年12月20日 |
今日の1枚は「トレジャーズ/山下達郎」。83から91年にかけての山下のベストアルバム。なぜこのアルバムを今日選んだか。そろそろクリスマスだから。クリスマスだったらジャズアルバムの中には1枚丸々クリスマスソングなんていうのも何枚もあるし現に持ってもいるがその曲目の中で知っているのはポピュラーなクリスマスソングだけで教会音楽的なものは殆ど知らない。それにキリスト教徒でもない日本人の多くがクリスマスやセントバレンタインデイに浮かれるのが気になって仕方がない。年のせいだろう。まあそれはさて置き、このアルバムには「クリスマス・イブ」が入っている。代表的な日本のクリスマスソングだろう。この時期になるとラジオなどでよく聴く。私はこの歌が好きだ。クリスマスとは関係なく失恋によって世の中の空騒ぎに一人だけ参加できないでいる男。そんな風に勝手に理解している。私自身の若い頃の経験にダブルところがある。クリスマスの思い出は、弟が同志社中学校へ入学したときから。同志社はミッション系だったので宗教の時間があったのだろう。聖書も持っていた。その年の冬から母親が針金とプラスチックでできたツリーを食堂(家族や住み込みの友禅職人が十人ぐらい座れた)に飾った。今から40年近く前のことである。私は違和感を感じたことを今も覚えている。それから30年経って今度は私の娘が同じくミッション系の聖母学院中学校に入学。6年間ハンドベルクラブに入っていたため毎年クリスマスコンサートが催され6年間聴きに行った。ハンドベルは宗教色が強く、曲目も宗教音楽が多かった。最後はいつも賛美歌を全員で歌った。これにはまいった。 山下達郎に関しては、彼はアメリカンポップスにも造詣がある。ベンチャーズの日本編集盤では彼が選曲もしている。ある雑誌に彼が高校生の時、東京の「マルブツ」というデパートでアメリカ盤のシングルレコードを買い漁ったという。しかしそのマルブツは数年で潰れたと。そのマルブツとは京都駅前にあった「丸物百貨店」(後に近鉄に吸収され近鉄百貨店と名称を変える)のことで中高生の頃私はよく「VAN」を買いに行ったものだった。その丸物の食堂に「東京店」の大きな写真が飾ってあった。そして数年後新聞に「丸物東京撤退」の記事が出た。その雑誌を読んで山下達郎は私と同世代だと思った。このアルバムの収録曲に関しては「おれたち、ひょーきんぞく」から明石家さんまがドラマに進出。そしてその後同じく島田紳助が初めてドラマに出た「海岸物語」の主題歌「ゲット・バック・イン・ラブ」も入っているし「ひょーきんぞく」のエンディングソングで「エポ」とかいう女性が歌った「パレード」ももともと彼のシュガー・ベイブ時代の作品でここには山下の歌声で収録されている。 |