当日配布の「俊寛」観劇資料より
ごあいさつ  21伏見・夢と幸せはこぶ会 初春前進座観劇会実行委員長 高橋 きみ (2004.1.18)

 今年も、みなさまのご協力でこうして初春の観劇会を催すことが出来ました。
 「寺田屋お登勢」の観劇会から、毎年の恒例になりました。今春の演目は、いずれも、前進座にご縁の深いものばかりです。「雪祭五人三番叟」は、高瀬精一郎さんが企画・構成され一九六八年初演。天下泰平を願って力強く舞う五人の美しい舞姿に心が弾みます。「俊寛」は、翫右衛門の芸を継承されて梅之助さんはもう一〇〇回以上も、演じておられるような演目です。「唐茄子屋」は、前進座のオリジナル。初演は一九五八年。庶民の日常の悲しみや喜びが生き生きと描かれています。
 とりわけ今、「俊寛」をこの京都で観劇できることに非常に期待しております。「俊寛」は、一二世紀の平安時代末期を背景に描かれています。過酷な政治で庶民は苦しみ、災害も多い時代、支配者はすざましい政争に明け暮れる中、前進座の「俊寛」は乱世を生き抜くヒーローとして描かれ、絶海の孤島に残されることになったにも関わらず、絶望を超えて養女千鳥らを見送る。その姿から私には明日への希望を見ることが出来ます。今日の前進座の演目は、平和への不安が増す現在、平和と安寧を守りぬき、懸命に生き抜こうとする私たちを励ましてくれます。
 来年は、河竹黙阿弥の通し狂言「梅雨小袖昔八丈」・・・髪結新三・・・が予定されています。歌舞伎の魅力をたっぷりと、来年もともに楽しみましょう。

(写真:「唐茄子屋」の出演の皆さんへ観劇の学生が会からの花束を贈る)

京都大学外国人留学生と記念撮影(唐茄子屋の出演者と) 終演後の交流会での浜名さん
鹿谷に「俊寛山荘」の跡地を訪ねる  会事務局 磯橋幸枝・村上敏明

銀閣寺の南、法然院のさらに南に霊鑑寺がある。その南側角に「此先俊寛僧都山荘地」の石碑がある。坂道を途中まで車で登る。歩いて直ぐ、これより二八丁の道標(左下の写真)。時間的に無理を承知で強行。同行の「そうぞう館」の磯橋さんも跡地まで行きますとの事。二人とも後の予定があり、普段着以上のスタイル、靴もハイキング用ではない。二〇分ばかり雪解けの難路、急な山道を急ぐ。道を間違ったのかと思ったとき、次の小さな道標。
後一丁とある。さらに道は険しい。手にした枝がおれ、倒れそうになる。すべる。約三〇〇b歩いた。もう山陵が近い。しかし、復路を考え、あきらめる。平安の高貴な人々の健脚を想像する。大悲山にしてもそうだった。
しかし、遺跡などあったのだろうか、もっと山麓の近いところではなかったろうか、など思いをめぐらせながら下山。一番近いと思われる地点の写真はとった。(右)
後で調べると跡地は特定していないようだ。道も当時は整備されていたかもしれない。いずれにしても法勝寺から離れたこの地、修行なのか憩いの場なのか、あるガイドブックには「クーデター計画にふさわしい雰囲気」と書いている。
車で、山麓までと無理をお願いした磯橋さんには、ほんとうにご迷惑をおかけした。しかし、俊寛島流しの原因になった謀議の場所付近の光景を体感したものしか味わえないものが得られた。そして「まだ、元気やね」と励まされたことも。
(文責:村上敏明)

秋の「俊寛」ツアー 前進座・・杉本 雅代
 十月十九日快晴の中、二一伏見・夢と幸せはこぶ会の皆さまの『俊寛ツアー』に参加して来ました。
 京都伏見の歴史・文化の発展、地域の振興を願っての諸活動と会員の親睦交流を図ることを目的としたこの会の皆さまには、一九九九年南座公演『寺田屋お登勢』いらい、毎年南座公演の取り組みをして頂いています。
 当日は、朝九時に京都駅を出発)まずは御車返の桜で有名な常照皇寺を散策しました。ほんのり色づいた木々に囲まれ穏やかな気持ちになりました。
 そして大悲山峰定寺。寺務所で貴重品以外をすべて預けて頭陀袋と杖を受け取り、本堂目指し、急な石段を四三〇段上がります。この頭陀袋には身を清めるお坊さんの袈裟と同じ意味があるそうです。石段の途中に鬼界ヶ島で非業の死を遂げた俊寛と、この峰定寺で隠棲したといわれる妻子の供養塔があります。五メートルの積雪でも崩れないという碑や、静寂の中ひっそりと佇む本堂に、八五〇年をこす歴史を感ぜずにはいられませんでした。     
 (前進座機関紙より)
  (写真は俊寛供養塔のまえで初春の公演の成功を願う杉本さん)
  「大悲山峰定寺」について  鞍馬より北、花背の北端にある。熊野の修験者「観空」によって創建。この周辺は、落人たちの隠れ里として知られている。出町柳からバスで大悲山口下車、その後徒歩三〇分

監修 21伏見・夢と幸せはこぶ会
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