新しい皮袋 第36号
「少女よ、生きなさい。」
猶原 宏(記)
マルコ5:21〜24、38〜43
“ イエスが舟でまた向こう岸へ渡られると、大ぜいの人の群れがみもとに集まった。イエスは岸べにとどまっておられた。
すると、会堂管理者のひとりでヤイロという者が来て、イエスを見て、その足もとにひれ伏し、いっしょうけんめい願ってこう言った。「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。娘が直って、助かるようにしてください。」
そこで、イエスは彼といっしょに出かけられたが、多くの群衆がイエスについて来て、イエスに押し迫った。
イエスが、まだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人がやって来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」そして、ペテロとヤコブとヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれも自分といっしょに行くのをお許しにならなかった。
彼らはその会堂管理者の家に着いた。イエスは、人々が、取り乱し、大声で泣いたり、わめいたりしているのをご覧になり、中にはいって、彼らにこう言われた。「なぜ取り乱して、泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです。」人々はイエスをあざ笑った。
しかし、イエスはみんなを外に出し、ただその子どもの父と母、それにご自分の供の者たちだけを伴って、子どものいる所へはいって行かれた。そして、その子どもの手を取って、「タリタ、クミ。」と言われた。(訳して言えば、「少女よ。あなたに言う。起きなさい。」という意味である。)すると、少女はすぐさま起き上がり、歩き始めた。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに包まれた。“
序
12才の少女が死につつありました。そして、ついに死にました。悲しみにくれる親。しかし、イエスは、「恐れるな。ただ信じていなさい。」と励まし、「少女は死んだのではない、眠っているのだ。」とご自分の判断を伝え、イエスの判断をあざ笑う人々を追い出し、「眠っている」と信じる人々だけが少女を取り囲む中で、「少女よ、起きなさい。」と少女に向かって命じました。すると、少女はすぐさま起きあがり、歩き始めました。
この希望のメッセージは全人類に告げられているのです。
本論
長崎県佐世保市の小学校で、12才の少女が友達を殺した事件は、この世が今どんな状況にさしかかっているかを告げる最先端のシグナルのようです。今、子供の心は死につつある、というシグナルです。そしてついに、心の死んだ子供が出てきてしまった、というシグナルです。
「心が死ぬ」とは、「心が何の反応もしなくなる」ということではなく、「心のつながりが全部切れてしまう」ということです。
この12才の少女は、どうしてわずかの時間に、「憎しみ」が「殺意」に変わり、その殺意を一瞬で決行し、それでも心が収まらず、被害者の顔を何度も蹴り上げる、という残虐にまで至ったのでしょうか。どうして、友達であった被害者のたった一言、「(体重が)重い」で、この少女は一挙に追い詰められた心になり、絶望して、「もう殺すしかない。」と決断するに至ったのでしょうか。
この少女の、余りにも早過ぎる絶望と殺意と殺害からは、どうしても一つの悲しい結論しか出てきません。この少女は、この年令でもう、「少女の心とつながっている心が全く無い。」と悟っていた、という結論です。
「そんなことはありません。いつも声も掛け合っていましたよ。会話もちゃんとあって、話だってちゃんと聞いてあげてましたよ。」と、家族やクラスメイトや近所の人たちは言うでしょう。その通りだったでしょう。友達とパソコンでチャット(おしゃべり)も大いにしていたのですから。しかし、それでも、この少女の取った衝撃的な行動は、彼女が、「自分の心と心がつながっている人は誰もいないんだ。」と、はっきり悟っていたことを明白に伝えています。
※孤独の孤は、瓜(うり)が丸く一つ転がっているような、一人ぼっちの子、という意味だそうです。
この少女は、ある時から、何かのきっかけで、誰の心ともつながりがなくなってしまったのでしょう。コロンと丸く一つ転がった瓜になってしまったのでしょう。「だから、自分は一人で一生懸命生きなくちゃいけないんだ。」とがんばり始めていたのでしょう。
子供は生まれて来た時、ただ心しかありません。心を丸出しにして生きることからスタートします。だから子供である間、子供たちに必要なのは心のつながりです。自分の心のそばにいつも一緒にいてくれる心がある、という体験です。
その心にふれて、その心をさすってあげる。なでてあげる。ほめてあげる。叱ってあげる。抱きしめてあげる。こちらの心に寄りかからせてあげる。子供は心だけで生きています。だから、親も、回りの人も、その心に自分の心をつないで一緒に生きてあげる。これが、子供には絶対に必要です。
※我が家に前足が一本ない小犬が来ました。4ヶ月親や兄弟や飼い主と一緒にいて、突然その全てから引き離されて我が家に来ました。どれほど恐怖と不安におののくだろうか、と心配しました。所が全然だったのです。きっと、ハンディがあるということで親は他の小犬達以上にべたべたに嘗め回し、飼い主もべたべたに抱っこし、なでさすり、声を掛けたのでしょう。それでこの小犬は、「この世界には自分と心をつなげてくれる仲間が一杯いるのだ。」と信じているのでしょう。
そうやって子供が、人との心のつながりの中で大人になって行き、やがて自我に目覚める時、「たとえ人と心がつながっていても、創造者と心がつながらなければ、自己中心と縁を切ることは絶対に出来ない」ことがよく分かる青年になれる状況が整えられていくでしょう。
しかし、もし子供の時に、「自分の心と心をつなげてくれる人なんか一人もいないのだ。絶対にいないのだ。」と信じ切ってしまったら、認めてしまったらどうなるでしょう。
「いい子でいるよう努力しよう。悪い心は隠しておこう。」と、いつもがんばって仮面の役をしてくれる人格が、あの屋台で売っているセルロイドの仮面のように、一見堅そうでいて、実はもろい人格になってしまうのです。
そんな時に、その子が心に傷を受けるとどうなるか。たとえ子供であっても、心の中にある邪悪さ(傲慢・欲望・残虐‥)が暴れ出し、それまでいっしょうけんめいかぶっていた仮面、「いい子でいるよう努力しよう。悪い心は隠しておこう。」と努力する人格仮面を簡単に突き破り、一挙に邪悪な行動に走ってしまう・・・。これが、あんなあどけない12才の少女が、一挙に、平然と、残虐の極みにまで至った殺人の答えではないでしょうか。
聖書は、「この邪悪さは全ての人の心の中にある。」と伝えています。
“主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。人の心の思い計ることは、初めから悪である。”
創世記6:5,8:21
ただし、人は殆どの場合、自分の心と心をつなげてくれる人を、たとえ現実には体験していなくても、「きっといる」と信じていますから、「いい子でいよう。悪い心は隠しておこう。」と努力する人格を成長させて、自分の心の中の邪悪さをしっかり押さえて生きて行けます。
※アニメ映画『平成狸合戦ポンポコ』のテーマソングは、こういう歌詞でしたね。
♪いつでも誰かが、きっとそばにいる。
思い出しておくれ。すてきなその名を。
♪心がふさいで、何も見えない夜、
きっときっと誰かが、いつもそばにいる。
しかし、この少女はこれを信じることさえやめたのです!どうしてやめたのでしょうか。本当に、知りたいと思います。
この少女は、『バトル・ロワイヤル』という本を愛読し、自分もそれと似た小説を書いていたそうです。その内容は、クラスの生徒男女40数人の内一人だけが生き残れる、というストーリーだそうです。互いに殺し合い、主人公の少女自身も、機関銃でクラスの子を殺して行き、最後に自分一人が生き残る、という恐るべきサクセス・ストーリーです。
「自分一人が生き残る。」・・・胸がしめつけられます。
心のつながりが全く無くなったこの少女は、
「だから一人で何とか生きてゆかなくちゃいけないんだ。自分を愛してくれ、守ってくれ、一緒に生きよう、と言ってくれる人なんかいないんだから。自分の存在を喜んでくれ、大切に思ってくれ、自分に心をつなげよう、としてくれる人なんかいないんだから。だから、もし周りが自分を攻撃してくるのなら、自分は、一人で生きていくために、その人々を皆殺すしかない。」
これが、この少女の当然行きつく結論であったことが、ひしひしと伝わって来るからです。
これはもう、授業で「命の大切さ」を教えなければ、というような状況ではありません。「自分を大切に」というスローガンなど、最大の的外れです。だって、「自分を守るのは自分しかない。」と考えて、この少女は、まさにこのスローガンを実行に移したのですから。
結論
最近の調査で、小学生の10%がうつ症状であると発表されました。生きる喜びを感じないと。子供たちは心で生きているのに、心でなく体にはいい服を着せ、おいしいものを食べさせ、脳には刺激的ゲームや漫画を与え、今や顔のためにまで高価な化粧品を買ってあげる。でも子供たちは心で生きているのです。心は抱きしめられているか。むしろ、この体験がどんどん少なくなっているのではないか。一方、自我の目覚めはどんどん早くなっている。その結果がうつなのではないか。これは、「今、子供たちの心は死につつある」というシグナルではないか。そして、今や、その一線も越え始めているのではないか。ついに心が死んでしまった子供たちが出始めているのではないか。この12才の少女の殺人こそ、そのシグナルなのではないか。
一体、誰が、心が死んだ子供を生かすことが出来るでしょうか?
イエス・キリストは、子供の横たわっている部屋に入って行かれました。そして、「少女よ、あなたに言う。起きなさい。」と言われました。
イエス・キリストは、全ての子供の所に、その子の心が横たわっている部屋に入って行かれます。そして、その子の心に言われます。
「わたしはあなたの心が大好きだよ。わたしの心はあなたの心とつながっているよ。一人で生きているんじゃないよ。一人ぼっちじゃないよ。わたしと一緒に生きているんだよ。一人でがんばって生きなくてもいいんだよ。もう、自分を守るために人を殺さなくてもいいんだよ。なぜなら、あなたを全ての敵から守るために、あなたが永遠に生きる為に、わたしがあなたの身代わりになって殺されてあげたから。だから幸せに生きなさい!
さあ、あなたの心とつながっているわたしを信じなさい!
信じられなければ信じられるまでわたしに向かって来なさい!そして、さあ、わたしと一緒に生きよう!」
十字架につけられ、復活されたイエス・キリストは、今、全ての子供たちの心に今言っておられます。
「少年よ、少女よ、生きなさい。」
これを読まれたお父さん、お母さんへ。
どうぞ、あなたの子供たちの心を抱きしめてあげてください。スキンシップでも、何でも、めちゃくちゃ子供たちの心をなでてあげてください。オーバーな位、そうしてあげてください。「お前達が家にいるだけで嬉しいね。感謝だね。」と言ってあげてください。叱る時は、子供たちの心を叱ってあげてください。それも、心のつながりの強化に絶対必要だからです。
そして、あなたの子供たちの心にイエス様を知らせてあげて下さい。あなたよりももっと深く、もっと正しく、子供たちの心を知っておられ、愛しておられる、イエス様のことを教えてあげてください。
「イエス様は、いつもお前と一緒にいるよ。」と。
「岩の上ミッション」 郵便振替 0090−0−81541
(コピー・ファックス どうぞご自由に。)