<目を上げて>第一号                                             目次に戻る

「ふるさと」

うさぎ追いしかの山、小ぶな釣りしかの川。

 

 「日本の国歌は『ふるさと』がいい。」とある人が言っていました。

日本人の心の歌、この歌を私も実感して歌える一人です。悲しいこと恐かったことも一杯あったはずなのに、私のふるさとは心の中でいつも美しく、いつまでも変わりません。不思議ですね。

 

 小さな平屋。(でも、子供の私は小さいなんて少しも思わなかった訳です。)風向き次第でいつでも堆肥の匂いが窓から入ってくる、小さな庭畑。ラジオのドラマに興奮しながら七輪をうちわでバタつかせていた夕暮れ。

 

 父がいて母がいて二人の妹がいて、大将がいてメンコ・ビ−玉・駒・凧揚げ仲間がいて、ザリガニ宝庫の小川が流れ、ススキの原っぱ、田んぼ、麦畑が見渡す限り広がっている。しかも、ふんどし一つで行ける距離に海もあり、向かい側はるか向こうには山々もある。

 これが私のふるさと、伊勢湾に近い田舎町。小学校5年まで住んだ所。

 

 学校には、子供の足で30分。麦畑の中を(春は菜の花の強烈な香りの中を)、途中の一本松を目指して行くのです。

 

 あれは何年生の時だったでしょうか。早春の冷たさがまだ頬に痛いある朝、鼻水を拭くために袖がツンツルテンに光った学生服を着て、麦畑の小路を学校へと向かっていた時、私は左側はるか向こうに高く連なる鈴鹿山脈を、いつものように見上げました。

 

 その残雪凍る山肌に朝日が反射し、光が帯状に流れ下るのを見た時、私は腹の底から震え、「この世界を、上から全て支配しておられる神がいらっしゃる。」と実感したのです。

 

 神仏に祈ることも、初詣に行くこともない家庭に育ち、誰からも神について教えられたこともなく、一度も神について考えたこともない私の、これが神との最初の出会いでした

 

“私は山に向かって目を上げる。私の助けは天地を造られた主から来る。”   

                                   詩編121:1〜2