祇園祭に参加する


プロローグ 


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 これが、私の担当することとなった北観音山である。

 事の起こりは会社の先輩からかかってきた一本の電話であった。 

 内容は、祇園祭で山鉾の綱を引くボランティアメンバ−が足りないので手伝って欲しいというのである。私は生まれも育ちも京都であるので、祇園祭の過酷さは重々承知している。晴天ならば灼熱の太陽が容赦なく襲い、雨天であればセイロの中のような高温の湿気が襲うこの季節の京都は、どのような天候であれ”すごくむし暑い”のである。そんな気候の中、数トンもある山鉾を引いて歩くなどまさに生き地獄である。コンチキチンの音や淡い色の浴衣で京都の大路を練り歩く姿は、クーラーの効いた快適な場所でテレビ観賞するからこそ涼しく感じるのであり、現場は先述した気候や人ゴミ等で不快この上なしである。

 私は京都人らしく”やんわり”と断ったが、説得されるうちにふとある思いが頭に浮かんできたのである。それは、祇園祭では町内の人にしか配られないレアアイテムが存在するはずであり、山鋒巡業を手伝えばゲットできるかもしれないという思いであった。そうなればまた一つ新しいお宝が増えるのだ、とお宝に目のない私は心の中でほくそ笑んだのである。まだ見ぬ(存在するかどうかも分からないが・・・)お宝に促される様に手伝いを承知したのであるが、そのお宝の幻像が私を地獄へといざなう悪魔の化身であることに気付くのは、山鉾巡行が始まって数秒後のことであった。

 


祭り当日 その1



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 説明を受けるボランティア軍団。中央で顔を覗かせているのが私である。

 集合は早朝7時30分であった。出欠の確認後、町内の方にスケジュールについて簡単な説明をしてもらい、着替へと向かった。着替場所は、松坂屋という呉服問屋と思われる店舗の一室である。衣装は上から、傘、法被、白い晒地の半パン、足袋(品名タビックス)、そして草鞋である。気になる事が2点あった。まず傘であるが、不思議なことにそれをかぶる者に”手下”、”その他大勢”、”下っ端”等々で表現される弱々しい存在を印象づけてしまう謎のアイテムであった。次に半パンであるが、こいつがクセ者で、これをはくと理由はわからないがなにか股間が落ち着かないのである。男性の方は理解していただけると思うが、股間が落ち着かないとなぜか力が入らないのである。とほほである。着替を終え、次に広間へと向かった。ここで、町内の方から役割分担を言い渡されるのであった。当日ボランティアが行う役割は3種類あり、旗持ち(1人)、露払い(2人)、そして曳き手 (山鉾により人数が異なる)である。露払いとは、長さ1m強の鉄棒を持ち、引きずりながら旗持ちの後について歩く役である。私は曳き手のバックス班となった。曳き手は位置により、右前方、左前方、バックスと3班に分かれる。バックスとは言っても山鉾の後ろに回るのではなく、前方に延びる左右2本の綱のより山鉾に近い方を曳く役である。通常の運行時は前方とバックスの役割の差はないが、辻回しという山鉾を90°回転させる作業を行う際に、左右2本の綱以外に中央からも綱を出すのであるが、この綱を曳くのがバックス班である。役割について一通りの説明を受けた後、今度は掛け声の練習である。山鉾を発進させる時や辻回しを行う時には特定の音頭があり、その音頭にのって”やぁー””おぉー”等の掛け声をかけるのである。2〜30分間の練習後、いよいよ山鉾巡行が始まったのである。

 


祭り当日 その2


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 四条通りを巡行する鉾。なに鉾かは不明。

 後悔は山が動き出してから1分もたたないうちにやってきた。”あぁ。家でゴロゴロしておけばよかった。”と、物心がついた時から自他共に認めるグウタラ人間の私は思ったのである。この日は平日であったが、土曜日出勤に係る振替休日であった。平日の休暇は妻も子供も家にいないため、男が唯一家で安らぎを感じることのできる貴重な日である。私はまだ見ぬお宝を呪った。

 山鉾は、新町通りを南下し、四条通り→河原町通り→御池通りと反時計回りに巡行し、再び新町通りに入って元の場所に戻ってくる。お宝を呪う元気も四条新町で辻回しを行うころには無くなっていた。四条通りに入ると頭の中は喉の渇きと暑さでいっぱいであったが、ショーウィンドーに写る大勢の曳き手の中に自身の姿を発見した時、何故かショッカーの戦闘員の姿が頭に浮かんできたのであった。戦闘員に思いを馳せながら(詳細は後述)ひたすら綱を引っ張っていると、四条河原町にさしかかった。ここで行う辻回しが山鉾巡業の一番の見せ所である。辻回しは4カ所の辻(交差点)で行うが、その中でも四条河原町が一番観客が多いため最高に盛り上がるのである。この見せ所を無難にこなし、河原町通りを北上していった。さらに、河原町御池と新町御池で辻回しを行い新町通りに入っていった。新町通りは他の通りと比べるとかなり道幅が狭いため山の操縦が大変難しい。操縦は、車方と呼ばれる人達が大きなくさびのようなものを車輪と道のあいだに咬ませ、車輪をスライドさせて行うのである。頻繁に調整されながら、山は無事に元の場所へと戻って来たのであった。  

 


エピローグ


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 ショッカーの戦闘員。彼らに輝く未来はあるのか?

 祭りが終わり、配られたものは赤飯とちまきであった。ちまきは非売品であるらしいのだが、私が思い描くお宝とは全くかけ離れたものであった。まさに後の祭りである。

 しかし、私は新たな発見をした。それは、先述したショッカーの戦闘員についてである。巡行中の自分の姿(数十人がまったく同じ足軽風の格好をしているのは、まさに戦闘員である。)や境遇が戦闘員と類似していることに気づいた時、はじめて戦闘員の立場でものを考えることができた気がしたのである。そして、その時いくつかの疑問が生じたのである。

1 全ての戦闘員の思いが果たして”世界征服”なのであろうか?(みんなホンマに山曳きたいにゃろうか?)
2 自分の失敗を他人のせいにする戦闘員もいるのだろうか?(綱ひくフリしてるだけとちゃうん?)
3 組織のトップは首領であるが、怪人が首領の命令に従わなかった時はどのように対応するのであろうか?(指示バラバラやん。どうすんの?)
4 彼らに労災は適用されるのであろうか?また、ライダーにやられた戦闘員の家族の保証は?(ケガしたら医療費は自費になんにゃろか?)
5 秘密組織の資金はどこからでているのだろうか?(山鉾維持すんのんスゲー金かかるんとちゃうん?この不景気の中、どこにそんな金が・・・)
6 仮に世界征服を果たしたとして、彼らにはその先なにが待っているのであろうか?(がんばって山曳いて・・・それでどうなんの?)

 山鉾を引き終えた感動より、何故か戦闘員の悩み、苦しみ、そして“現実”を痛感した一日であった。